法蔵寺

マーカーは法蔵寺です。

法蔵寺
[法蔵禅寺は、もと二条家の山屋敷であったものを、a href=”https://ja.wikipedia.org/wiki/尾形光琳”>尾形光琳の弟・尾形乾山(陶工)が譲り受け、乾山焼の窯を築いた所です。
 その後、近衛家煕(このえいえひろ・・・・予楽院)と親交のあった百拙元養(ひゃくせつげんよう)和尚が、享保16年(1731)ごろに、予楽院の出資を得、桑原空洞の旧宅をゆずりうけて黄檗宗(おうばくしゅう・・・・禅宗)の寺としたものです。
 百拙は京都の人です。高泉和尚の弟子となり、伏見大亀谷の仏国寺但馬国兵庫県)にあった興国寺の住職をつとめ、晩年泉谷に閑居し、寛延2年(1749)9月6日示寂。世寿は82歳でした。詩歌、茶事及び絵画をよくし、墓所は境内背後の墓地にあります。
 法蔵禅寺の方丈は予楽院が永代祈願所として寄進したものを改めたものと伝えられていますが、幾度かの修理を経て今ではほとんど原形をとどめていない状態です。
 また近衛家の家臣渡辺始興の描いた襖絵があったとされていますが、現在は不明です。しかし開山・百拙元養和尚が描いた自画自賛像や黄檗高泉像、釈迦・文殊・普賢・十六羅漢図十九幅そして七条仏師が作成した十六羅漢像等は現在法蔵禅寺の寺宝として所蔵されています。  (「法蔵禅寺ホームページ法蔵禅寺について」より)]

都名所図会」・「巻之六 後玄武再刻 法蔵寺」、「巻之六 後玄武再刻 泉谷の法蔵寺 (法蔵寺)解説

カメラ北方向が法蔵寺参道です。

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