祇王祇女仏刀自旧跡

マーカーは祇王祇女仏刀自旧跡碑です。

祇王祇女仏刀自旧跡
[『平家物語』によると,祇王・祇女姉妹は都で評判の白拍子で,平清盛(1118~81)に寵愛された。仏御前という白拍子へ清盛の寵が移ると,母刀自とともに尼となり,嵯峨野往生院に庵を結んだ。そこへ尼になった仏御前が訪ねて来て,四人で念仏三昧の日々を過ごしたという。この碑は祇王・祇女・仏・刀自四人の庵跡を示すものである。なお,往生院は,良鎮(?~1182)が融通念仏布教のために再興したと伝える寺であり,一時荒廃していたが江戸時代祇王寺として復興した。明治28(1895)年,元京都府知事北垣国道が寄進した茶室を本堂とする真言宗の尼寺往生院祇王寺となり現在にいたる。
所在地 右京区嵯峨鳥居本小坂(祇王寺内)
位置座標 北緯35度00分12.9秒/東経135度40分00.2秒(世界測地系)
建立年 明和8年
建立者 往生院法専尼
寸 法 高80×幅24×奥行21cm
碑 文
[北東]
性如禅尼 承安二年壬辰八月十五日寂
右清盛塔
妓王妓女仏刀自之旧跡
左四尊尼塔
明和八年辛卯正当六百年忌 往生院現住法尼法専建之
[南西]
祇王祇女仏三女後先得平相国寵二祇之母曰
刀自四女屏跡此地脩浄業而終焉如其履歴既
久膾炙人口且載在平語夫祇王之脱塵仏嬢之
頴悟纏足中有斯人不亦奇乎而以鴬舌艶歌開
導人心令其功徳斎海潮妙音者亦又奇矣於戯
四女薄命世人憾焉然由今観之則彼実以此證
道知名所謂薄命一時顕栄千載者非邪去年明
[北西]
和辛卯距四女歿幾乎六百年守冢女僧法専為
之修追福且建碑於墓側求余記因記其趣以示
来者云
明和壬辰正月甲子 平安巌垣彦明誌
岡部長啓書
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調 査 2002年2月12日  (「UK004 祇王祇女仏刀自旧跡 – 京都市」より)]

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