等観院

マーカーは等観院です。

等観院
[等観院は、南北朝時代至徳三年(1386)に管領細川武蔵野守満元公が建立したと伝えられています。
 開山は、天龍寺開山夢想疎石国師の直弟子である徳叟周佐禅師。徳叟禅師は、天龍寺第二十代の住持をはじめ、京都南禅寺や等持院、鎌倉の瑞泉寺なども住持した高名な禅僧で、示寂後には、後小松天皇から「諡賜宗猷達悟禅師徳叟周佐大和尚」という諡(死後にその得を讃えて贈る称号)を頂いています。
その後、等観院は時の流れとともに栄枯衰退をたどりますが、明治維新後(1868年)、神仏分離令の実施に始まる「廃仏毀釈」と呼ばれる仏教排斥運動ならびに仏教寺院・仏像・仏具の破壊運動が起こり、明治十八年には廃寺同然になったそうです。
 しかし大正十年になって、京都・峰山の吉村氏の志願と天龍寺開山・夢想国師と等観院開山・徳叟禅師のご縁により天龍寺境内に寺号を移転して再建され、今日も継承されている次第です。  (「お寺の歴史 – 等観院2011」より)]

カメラ南方向が等観院山門です。

等観院山門内のカメラです。