西行井戸・向井去来墓

マーカーは弘源寺墓苑です。

西行井戸・向井去来墓
[嵯峨野小倉山 弘源寺墓苑
西行井戸 百人一首
去来塚  百人一句
この地は その昔歌人西行法師 小倉山山麓に住いし折に用いたと云ふ「旧跡西行井戸」又俳人向井去来の墳墓などありて由緒ゆかしき所なり、されば現代の全国の歌人俳人に呼びかけ歌碑句碑の建立をなせしものなり、依って嵯峨野散策のよすがとなれば幸いである。
昭和六十三年五月  弘源寺  (「向井去来の墓地と西行井戸の紹介|みどりの木のブログ画像」より)]

[向井去来 慶安4年(1651年) – 宝永元年9月10日(1704年10月8日)
江戸時代前期の俳諧師で蕉門十哲の一人に挙げられます。
儒医向井元升の二男として長崎市で生まれました。武芸に優れていましたが、若くして武士の身分をすて誹諧の道に進みました。
松尾芭蕉が『嵯峨日記』を執筆した京都嵯峨野の落柿舎(らくししゃ)に住み、野沢凡兆と共に蕉風の代表句集「猿蓑」を編纂しました。
※向井去来が暮らしていた「落柿舎(らくししゃ)」の裏の弘源寺墓地にあります。
弘源寺本堂より徒歩10分。  (「弘源寺について」より)]

西行井戸 – 平家物語・義経伝説の史跡を巡る – Gooブログ

カメラ北東方向が弘源寺墓苑で、入口右方向に西行井戸があります。