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金福寺
[864年(貞観6年)慈覚大師円仁の遺志により、安恵僧都が創建し、円仁自作の聖観音菩薩像を安置した。 当初天台宗であったが、後に荒廃したために元禄年間(1688年~1704年)に円光寺の鉄舟によって再興され、その際に円光寺の末寺となり、天台宗より臨済宗南禅寺派に改宗した。その後鉄舟と親しかった松尾芭蕉が、京都に旅行した際に庭園の裏側にある草庵を訪れ、風流を語り合ったとされ後に芭蕉庵と名付けられたが、荒廃していた為、彼を敬慕する与謝蕪村とその一門が1776年(安永5年)に再興した。幕末に入り舟橋聖一著の『花の生涯』のヒロインとして知られる村山たか(村山たか女)が尼として入寺し、その生涯をとじた。
金福寺本堂と庭園
庭園・wikipedia-photo
芭蕉庵
庭園の東側に立つ茅葺き屋根の庵で、内部は千利休が造った待庵に似た三畳台目の茶室となっている。元禄時代に鐡舟和尚と親交の深かった松尾芭蕉が京都を旅行した際に滞在したことで知られ、周辺の住民によって芭蕉庵と呼ばれるようになったが、後に形がないほど荒廃したために、芭蕉を敬慕する与謝蕪村とその一門によって、1776年(安永5年)再興された。
(wikipedia・金福寺より)]
金福寺資料リンク
「拾遺都名所図会」・巻之二 左青龍尾 金福寺、巻之二 左青龍尾 金福寺解説
金福寺(拡大図)
金福寺山門前のストリートビューです。
金福寺本堂前庭園のストリートビューで、カメラ東方向・茅葺き屋根が芭蕉庵です。
芭蕉庵東側のストリートビューで、カメラ東南東方向に芭蕉庵由来案内板が設置されています。