鹿王院

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    鹿王院
    [鹿王院(ろくおういん)は京都市右京区嵯峨北堀町にある臨済宗系の単立寺院。山号は覚雄山。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は足利義満、開山(初代住持)は春屋妙葩(しゅんおくみょうは)である。
    鹿王院は、足利義満が建立した宝幢寺という寺の塔頭(たっちゅう)であった(塔頭とは、禅寺等で歴代住持の墓塔を守るために建立される寺院)。宝幢寺は応仁の乱で廃絶し、その後は開山の塔頭であった鹿王院のみが残って寺籍を継いでいる。
    室町時代の記録である『花営三代記』や、開山伝の『宝幢開山知覚普明国師行業実録』によると、宝幢寺の建立経緯は次のとおりである。足利義満は康暦元年(1379年)のある夜、「そなたは今年中に大患をわずらうが、宝幢菩薩を祀る伽藍を建立すれば寿命が延びるであろう」との夢告を受けた。そのため、義満は自らの帰依する禅僧春屋妙葩(普明国師)を開山として一寺を建立することとし、康暦2年(1380年)完成した。当初の寺号を興聖寺といい、後に宝幢寺(詳名は大福田宝幢禅寺)に改称したという。鹿王院は、嘉慶元年(1387年)、開山の春屋妙葩の寿塔(生前に造る墓)を守る塔頭として創建されたものである(春屋の死去は翌嘉慶2年・1388年)。
    宝幢寺は禅寺十刹の第5位に列せられる大寺であったが、応仁の乱で廃絶。塔頭の鹿王院のみが残った。鹿王院は寛文年間(1661年 – 1673年)、酒井忠知(徳川四天王の一人である酒井忠次の子)によって再興され、忠知の子である虎岑玄竹(こしんげんちく)が中興開山となった。
    境内
    ●総門 – 切妻造、本瓦葺き。創建時に近い南北朝時代の建立と推定される。
    ●本堂(開山堂) – 方三間(柱間が正面側面とも3間)、寄棟造、桟瓦葺き。本尊釈迦如来坐像を安置する仏殿であるとともに、開山春屋妙葩の塔所でもある。本尊像のほか、普明国師(春屋妙葩)像、足利義満像、虎岑和尚像などを安置する。延宝4年(1676年)の建立。
    ●舎利殿 – 方三間、宝形造(大棟のない四角錐状の屋根)桟瓦葺き、裳階付きの堂。堂内の厨子には源実朝将来と伝える仏舎利を込めた多宝塔を安置する(10月15日のみ公開)。宝暦13年(1763年)の建立。
    ●客殿 – 足利義満筆の扁額「鹿王院」が掲げられている。
    ●庭園 – 舎利殿前に広がる、嵐山を借景とした庭園で、苔で覆われ、石組と植え込みを配した平庭式枯山水庭園である。舎利殿が建立された宝暦13年(1763年)頃の造園と推定される。
    総門・wikipedia-photo、「式台・庫裏と前庭」・wikipedia-photo、客殿・wikipedia-photo、舎利殿と枯山水庭園・wikipedia-photo  (wikipedeia・鹿王院より)]

    鹿王院宿坊
    [静寂の中に佇む鹿王院は、足利義満が延命長寿を祈願して建立した臨済宗の寺院です。こちらは、女性限定で宿坊に泊まれ、静かな空間の中でリフレッシュできると評判です。客室にはテレビなどはありませんが、床の間には花が飾られ、障子越しに見える見事な庭園が穏やかな気持ちにさせてくれます。また、早朝に行われるお勤めに参加でき、住職自らお寺の由緒や法話、坐禅の手ほどきをしてくれます。
    料金:1泊朝食付4500円~  (「京都の宿坊で気分もキリリ – JR東海ツアーズ」より)]

    鹿王院-宿坊 – 宿坊研究会

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    カメラ北方向が鹿王院総門です。

    鹿王院総門内のカメラです。

    鹿王院資料リンク
    拾遺都名所図会」・「巻之三 後玄武・右白虎 鹿王院

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