宝迎寺

マーカーは宝迎寺です。

宝迎寺
[浄土宗 宝迎寺は、井原西鶴好色五人女』の主人公「おさん・茂兵衛(もへえ)」の墓があることで知られています。
 「おさん茂兵衛事件」というのは、江戸時代の実際にあった不倫事件を脚色した小説、戯曲の登場人物名です。天和3(1683)年、)、京都・烏丸通の大経師(きようじ)意俊(いしゆん)の妻おさんが手代茂兵衛と密通し、仲立ちをした下女玉(たま)との3人が丹波国兵庫県)に潜伏していたのを召し捕られ、9月22日に粟田口で処刑されたという事件がありました。
 これを、井原西鶴(さいかく)が『好色五人女』(1686)の「中段に見る暦屋(こよみや)物語」でおさん茂右衛門(もえもん)の名で小説化しました。また、近松門左衛門浄瑠璃大経師昔暦(むかしごよみ)』(1715)にほとんど実名で脚色し、大ヒットしました。その後も多くの作品に扱われ、戦後も川口松太郎の小説『おさん茂兵衛』(1954)が『近松物語』の名で劇化され、新派の当り狂言になり、映画化もされましたた。 その「おさん・茂兵衛」の眠っている寺でもあります。  (「山科「大塚」地域 名所・旧跡案内」より)]

おさん・茂兵衛事件
[江戸時代中期の天和年間(1681~1684)に、実際にあった事件です。暦商を営む浜岡権之助(のち意俊)の女房さん(当時19才)と手代の茂兵衛が下女たまの手引きによって密会を重ね、のち、駆け落ちし、3人は丹波国柏原挙田(アグタ)に隠れ住んだものの、天和3年(1683)8月9日、幕吏手下の者に見つけ出され捕縛連行されました。江戸時代の当時、不義密通は御法度、奉行所において詮議の末、獄に繋がれ、同年9月22日、市中引き回しの上、九条山西麓の粟田口処刑場において、さんと茂兵衛は磔、たまは獄門に処せられました。『諸式留帳』に「天和三年十一月 からす丸四条下る大きやうし(大経師)さん 茂兵衛 下女 右三人 町中御引渡し 粟田口にて 磔-さん 茂兵衛 獄門-下女たま」とあり、処刑ののち、5日間、ここで晒されています。
 のちになって粟田口刑場跡からさんと茂兵衛の墓が発見され、山科区大塚西浦町の宝迎寺の墓地に移されました。
 この事件に着目した浮世草子の作者の井原西鶴が貞享3年(1686)2月に『好色五人女』巻三「中段に見る暦屋物語」を刊行し、人形浄瑠璃歌舞伎作者の近松門左衛門が63才の時に『大経師昔暦』を書き正徳5年(1715)春に上演、おさん・茂兵衛の名は一躍世間に知られるようになりました。  (「おさん・茂兵衛 – BIGLOBE」より)]

宝迎寺 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が宝迎寺山門で、カメラ北方向・掲示板右に愛宕常夜灯があります。

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