マーカーは月心寺(走井茶屋の跡)です。
月心寺(走井茶屋の跡)
[月心寺(げっしんじ)は、滋賀県大津市大谷にある臨済宗系単立寺院。山号は瑞米山。
京都、大津への玄関口、逢坂山の関所を控える、かつては東海道随一の賑わいをしていた追分の地で繁昌していた走井茶屋の跡。境内には今も枯れることなく走井の名水が湧き出ている。
逢坂関を越えた山が迫る狭い土地で、街道を挟んで両側に家々がぎっしり建ち、谷間を埋めており、大津絵や大津算盤、縫い針などの大津特産の土産物を売る店や茶店がひしめき、旅人と牛馬の往来が多い賑やかな場所に位置していた。
歌川広重が描く「東海道五十三次(大津宿・走井茶店)」で、溢れ出る走井の水のそばの茶店で旅人が休息しているのが見られる。その茶店がこの月心寺である。
走井茶店
国道1号の拡張や東海道本線の開通により町が廃れてしまい、持ち主の茶店も八幡へ移ったあと朽ち果てていた。このまま朽ちるのを惜しんだ日本画家の橋本関雪が1914年(大正3年)に自らの別邸として購入し、後に天龍寺慈済院より村上獨譚老師を迎え今のような寺院となる。別邸の名は「走井居」と言う。
本尊は「童形聖徳太子像(鎌倉期)」。境内には小野小町の百歳の姿をあらわしたといわれる百歳像を祀る小野小町終焉地とされる百歳堂、松尾芭蕉の「大津絵の筆のはじめは何仏」の句碑、蝉丸の庵があったと言われる場所には「三聖祀堂」、走井から出土したと言われる石造の篠原薬師が祀られている「薬師堂」、明治天皇僥倖の際の御休憩処などがある。庭園は世阿弥の作庭と伝えられる石庭、池泉回遊式庭園「追分走井庭園」。
精進料理が有名で、村瀬明道尼庵主が作るごま豆腐は天下一の評判となり、NHK朝の連続テレビ小説「ほんまもん」の青風寺のモデルとなった。
月心寺・wikipedia-photo
(wikipedia・月心寺より)]
月心寺の道標
[『中近世古道調査報告書(滋賀県教育委員会)』には、
『月心寺には背の低い道標があり、碑面には「右一里丁・左大谷町」と刻まれている。一里町の町名はかってこの付近に一里塚があったことによる。』
一里塚は、月心寺の道標から西へ200mほどの村松石材の駐車場入口付近と思われる。京阪電車の踏切名にも「一里町」の名が残っている。 (「走井一里塚」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第十 土山ヨリ京マデ」(コマ番号22/26)
絵図に「一里塚 京より二里 江戸より百十八里」と記述され、その右に「走井の水」と記述されています。

「伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [編画] ; [秋里湘夕] [撰] 」・「走井」(1巻 – 25)、「走井一里塚餅屋解説」(1巻 – 26・右ページ)
[走井
此餅やの庭は昔某の物好にて 庭造傳と云 書にも出て景中含意と云躰有と称せり 但し今年三十二年前山津波出て 其名高かりし築山は流れて今のは其形をうつせしといふ しかし高木などは其余風も見えたり 築山の上に小亭あり 是を山かけの亭といふ 内に小野小町百歳の像とて 筆短尺を持たる老婆の像あり 石の高き所に小堂あり 笹薬師といふ石仏なり (「伊勢参宮名所図会」より)]
「東海道名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [編]」・「走井茶屋」(1巻 – 22)
[『東海道名所図会』巻一の挿絵はこの走井にあった茶屋の店先の様子を描いています。絵の左下隅で湧き出ているのが件の走井。「名所図会」の本文には「後の山水ここに走り下つて湧き出る」とあり、故にこの名前が付けられたと推察されます。絵を見ると、なみなみと溢れる井戸の水を柄杓ですくい取り、餅米をあらう女性。これはここの茶屋で出す名物「走井餅」を製する準備をしているのです。店の右側では2人の女性がつきたての餅を丸めているのが見えます。
また、井戸の前の男性2人は琵琶湖で水揚げされたばかりの鯉を井戸の水に浸しています。茶屋の奥には前栽があり、前栽が見える座敷で川魚料理を出したのです。こんにちでも鰻料理を出す「かねよ」という店が走井の北東にあり、往事が偲ばれます。
店の中を覗いてみると、男性が1人、奥座敷へ通されています。また、巡礼姿の女性が2人、腰掛けでしばし休憩。名物の餅を食べて旅の疲れを癒します。店の前を走るのが東海道。3人連れと1人の人足たちは、大津の港に揚がった北国からの積み荷を京都の町へと届ける途中です。ですから、左へ行けば大津、右へ行けば京都三条大橋、ということになります。 (「「03. 名所図会類の図像解釈:nishi-note」- 「20.走井」より)]
カメラ南方向が月心寺(走井茶屋の跡)です。月心寺境内の西側境界水路の西側に道標があります。
月心寺西側境界水路のカメラで、カメラ南南東方向右石垣角に「右 一里丁 /左 大谷町」の月心寺の道標があります。