マーカーは髭茶屋追分【道標】です。
髭茶屋追分
[髭茶屋追分(ひげちゃやおいわけ)は、山科盆地内にある東海道(三条街道)と大津街道(伏見街道)の分岐点(追分)である。山科追分(やましなおいわけ)とも呼ばれる。
逢坂関より西に位置するものの古くより近江国と山城国の国境であり、現在でも滋賀県(大津市)と京都府(京都市山科区)の府県境である。
東海道五十七次という場合、大津宿からは三条大橋には向かわず、ここで南西に折れ、伏見宿に向かう。
分岐点には「右 京道、左 伏見道」の碑が建つ。
「髭茶屋追分。直進すると三条大橋方面、左折すると伏見方面」・wikipedia-photo
(wikipedia・髭茶屋追分より)]
柳緑花紅【道標】
[所在地 滋賀県大津市追分町
位置座標 北緯34度59分27.5秒/東経135度50分10.7秒(世界測地系)
建立年 1954年(再建)
建立者
寸 法 高155×幅24×奥行25cm
碑 文
[北]
法名
柳緑花紅
未徴
[東]
みきは京みち
[南]
ひたりはふしみみち
[西]
昭和廿九年三月再建
調 査 2002年2月22日
備 考 安永9年刊『都名所図会』(平安京都都名所図会データべース)巻三に「道分の石に柳は緑花は紅の文字を刻む」と記すのはこの道標/本碑(GA004)・GA016・GA017は同一の碑文を有しほぼ同寸/『京都の道標』他ではGA016が本来追分の街道上に建てられた道標で本碑は1954年に建てられた複製だと記す/三者を実見したかぎりではGA017が折損した原碑で,そのあとに本碑が建てられた。GA016は何らかの目的で作られた複製品ではないかと本サイト運営者は考える/蓮如上人/是より十町【道標】(GA005)と並び立つ (「GA004 柳緑花紅【道標】 – 京都市」より)]
蓮如上人/是より十町【道標】
[所在地 滋賀県大津市追分町
位置座標 北緯34度59分27.5秒/東経135度50分10.7秒(世界測地系)
建立年 明和3年
建立者
寸 法 高76×幅24×奥行23cm
碑 文
[東]
蓮如上人【以下埋没】
[南]
是より十町【以下埋没】
[北]
明和三丙【以下埋没】
調 査 2003年11月6日
備 考 柳緑花紅【道標】(GA004)と並び立つ (「GA005 蓮如上人/是より十町【道標】 – 京都市」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第十 土山ヨリ京マデ」(コマ番号23/26)
絵図を右方向にスクロールすると、左絵図右端に「伏見海道」と記述され、右絵図の接続する場所に「追分」と記述されています。

大津絵
[大津絵(おおつ-え)とは、滋賀県大津市で江戸時代初期から名産としてきた民俗絵画で、さまざまな画題を扱っており、東海道を旅する旅人たちの間の土産物・護符として知られていた。
東海道、逢坂関の西側に位置する近江国追分(髭茶屋追分)を発祥の地とする。寛永年間(1624- 1644年)のころに仏画として描かれ始めた。当初は信仰の一環として描かれたものであったが、やがて世俗画へと転じ、加えて18世紀ごろより教訓的・風刺的な道歌を伴うようになった。 (wikipedia・大津絵より)]
『東海道五十三次(隷書東海道)』より「東海道 五十四 五十三次 大津」
「伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [編画] ; [秋里湘夕] [撰] 」・「大津追分」(1-24)、「追分説明・中程より」(1-23)
[大津 追分
此所東国より来る人 宇治・ふし見・京への別れ道也 故に追分といふ 是より惣名を逢坂とも 又大津ともいへり 札場の傍に 柳緑 花紅の標石あり 是に添ふたる文六地蔵 続が辻といふ所に標題なくして文ばかりあり この追分より大津領にて 町つゞきなり 針・算盤・大津絵などの店多し (「伊勢参宮名所図会」より)]
「東海道名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [編]」・「大津絵」( 1 巻 – 24 )
[店の看板に「鬼の寒念仏」画が掲げられています。]
[大津絵(おおつ-え)とは、滋賀県大津市で江戸時代初期から名産としてきた民俗絵画で、さまざまな画題を扱っており、東海道を旅する旅人たちの間の土産物・護符として知られていた。神仏や人物、動物がユーモラスなタッチで描かれ、道歌が添えられている。多くの絵画・道歌には、人間関係や社会に関する教訓が風刺を込めて表されている。 (wikipedia・大津絵より)]
「追分と蓮如上人御塚道の道標 – Google Map 画像リンク」
カメラ位置は髭茶屋追分で、カメラ西南西方向標柱右が「柳緑花紅【道標】」で左が「蓮如上人/是より十町【道標】」です。