マーカーは山下慶秀堂です。
山下慶秀堂
[皷は全国に100万丁あるでしょうか。その一つひとつみな音が違う。その音づくりに欠かせないのが「調べ緒」です。実は、調べ緒作りの専門の職人の歴史はそんなに古くありません。麻加工製造の慶秀堂は寛政11年、1799年創立とあります。明治10年ころに初代が、「調べ緒」の専門職として道を開いたのが始まりです。それまでは、楽士が手近な紐で間に合わせていました。
小皷、大皷、締太皷に掛けた「調べ緒」の締め具合で音階を調整します。小皷の場合は、「オツ」「ホド」「カン」「カシラ」の四音ありますが、「調べ緒」が硬くなければ、手の締め具合が、小皷の面・「皮」といいますが、この張力に直結しない。しかし、「柔らかく」なければ、「皮」に開いた六つの穴、「調べ穴」といいますが、調べ緒が通るときの滑りが悪くなる。「通(かよ)い」が悪いといいます。力を抜きすぎてもグサグサになって「腰」がなく通いが悪い。
父は工務店。私は三男―― 調べ緒との運命的な出会い
家は、京都市北区の白梅町です。こくたさんの住む小松原は私の庭のような感じですな。父は工務店をしていまして、私は三男でした。二人の兄が立命館大学を出て就職しましたので、家業を継ぐつもりでいましたが、兄がそろって仕事をやめて家に帰ってきて「仕事を継ぐ」というのです。
そんなとき、この家の修理の手伝いに来ましてね、家の主が縁で紐をいじっている。梅雨の晴れ間の陽を浴びて朱色の紐がきれいでした。不思議に思って昼休みに聞いてみると、それが「調べ緒」という名で、「鼓の音を出すのに重要な役割を果たすものだ」と教えてくれたんです。
その老人が、慶秀堂4代目の山下秀次郎さん、私の師匠です。私は、翌日、弟子入りのお願いにあがりました。「楽ではないぞ」と師匠。その日からの住み込みの厳しい修行が始まりました。それが18歳。58年前のことです。
23歳の時に師匠が亡くなり、五代目を継ぎましたが、理想的な「調べ緒」が「綯える」ようになるには10年かかりました。 (「調べ緒作家・山下雄治さん – こくた恵二site」より)]
カメラ北北西方向が山下慶秀堂です。