曼殊院天満宮

マーカーは曼殊院天満宮です。

[曼殊院は平安時代以来、近世末期に至るまで北野神社(現・北野天満宮)と関係が深く、歴代の曼殊院門主は北野神社の別当(責任者)を兼ねていた。通説では、曼殊院初代門主の是算(ぜさん)が菅原氏の出身であったことから、菅原道真祭神とする神社である北野神社の創建(天暦元年・947年)に際し別当に任命されたという。なお、是算の別当任命については、北野神社創建時ではなく、寛弘元年(1004年)、一条天皇の北野神社行幸時のこととする別説もある。北野神社の創建年とされる天暦元年(947年)と是算の没年である寛仁2年(1018年)の間には70年もの開きがあることを勘案すれば、寛弘元年(1004年)任命説の方に妥当性があると言えよう。
天仁年間(1108-1110)、是算から数えて8代目の門主・忠尋の時に、北野神社からさほど遠くない北山(現・京都市右京区)に別院を建て、寺号を「曼殊院」と改めた。別院を建設したのは、北野神社の管理の便のためと思われる。比叡山にある本坊と北山の別院とはしばらくの間、並立していたが、次第に北山の別院が主体となっていった。  (wikipedia・曼殊院より)]

[平安時代中期、菅原氏出身であった曼殊院(曼殊院~竹内門跡 )初代・是算が北野天満宮初代別当を兼ねて以降、江戸時代末まで曼殊院住職が北野天満宮別当を兼ねていました。こちらは万治3年(1658年)、曼殊院境内に天満宮を誘致して創建されました。
その際に、比叡山延暦寺東塔無動谷にある無動弁財天の前堂として弁天堂が合わせて創建され、比叡山に登る体力のない者はこちらの前堂に参拝して帰参したといいます。  ( 「曼殊院天満宮~曼殊院の鎮守社|古都の礎 – Ameba」より)]

拾遺都名所図会」・巻之二 左青龍尾 天満宮巻之二 左青龍尾 曼珠院解説
天満宮(拡大図)

[図会左ページ上に曼殊院天満宮、その右下に曼殊院が描かれています。]

曼殊院天満宮 – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向が曼殊院天満宮です。

カメラ北方向が曼殊院天満宮拝殿です。

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