マーカーは鞍馬寺本殿金堂です。
鞍馬寺
[鞍馬寺(くらまでら)は、京都府京都市左京区鞍馬本町にある寺。 1949 年まで天台宗に属したが以降独立して鞍馬弘教総本山となっている。山号は鞍馬山。開基(創立者)は鑑真の高弟鑑禎(がんてい)とされている。本尊は寺では「尊天」と称している。「尊天」とは毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊であるという。
鞍馬寺の草創については、『今昔物語集』、『扶桑略記』など諸書に見られ、延暦 15 年( 796 年)、藤原南家の出身で造東寺長官を務めた藤原伊勢人という人物が毘沙門天と千手観音を安置して創建したとされている。しかし、寺に伝わる『鞍馬蓋寺縁起』(あんばがいじえんぎ)には別の草創縁起を伝えており、鑑真の高弟鑑禎(がんてい)が宝亀元年( 770 年)に草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まりという。
鑑禎は、鑑真が唐から伴ってきた高弟8名のうちの最年少であった。宝亀 3 年( 772 年)のある夜、鑑禎は霊夢を見、山城国の北方に霊山があると告げられる。霊山を尋ねて出かけた鑑禎は、ある山の上方に宝の鞍を乗せた白馬の姿を見る。その山が鞍馬山であった。山に入った鑑禎は女形の鬼に襲われ殺されそうになるが、あわやという時、枯れ木が倒れてきて鬼はつぶされてしまった。翌朝になると、そこには毘沙門天の像があったので、鑑禎はこれを祀る一寺を建立したという。この鑑禎の話は『鞍馬蓋寺縁起』以外の書物には見えず、どこまで史実を伝えるものかわからない。ただし、清水寺の草創縁起と同様、南都(奈良)の僧が創建にかかわったとしている点は注目される。
その後、延暦 15 年( 796 年)、官寺である東寺の建設主任であった藤原伊勢人は、自分の個人的に信仰する観音を祀る寺を建てたいと考えていた。伊勢人は、ある夜見た霊夢のお告げにしたがい、白馬の後を追って鞍馬山に着くと、そこには毘沙門天を祀る小堂があった。「自分は観音を信仰しているのに、ここに祀られているのは毘沙門天ではないか」と伊勢人はいぶかしがった。ところが、その晩の夢に1人の童子が現われ、「観音も毘沙門天も名前が違うだけで、実はもともと1つのものなのだ」と告げた。こうして伊勢人は千手観音の像をつくって、毘沙門天とともに安置したという。
9世紀末の寛平年間(889年 – 897年)東寺の僧・峯延(ぶえん)が入寺したころから、鞍馬寺は真言宗寺院となるが、12世紀には天台宗に改宗し、以後の鞍馬寺は長く青蓮院の支配下にあった。寛治 5 年( 1091 年)には白河天皇(上皇)が参詣、承徳 3 年( 1099 年)には関白藤原師通が参詣するなど、平安時代後期には広く信仰を集めていたようである。『枕草子』は「近うて遠きもの」の例として鞍馬寺の九十九(つづら)折りの参道を挙げている。
鞍馬寺は大治元年( 1126 年)の火災をはじめとして、たびたび焼失している。江戸時代の文化 9 年( 1812 年)には一山炎上する大火災があり、近代に入って1945年(昭和 20 年)にも本殿などが焼失している。このため、堂宇はいずれも新しいものだが、仏像などの文化財は豊富に伝えられている。
昭和期の住職・信楽香雲(しがらきこううん)は、 1947 年に鞍馬弘教を開宗。 1949 年には天台宗から独立して鞍馬弘教総本山となっている。
京都の奥にある鞍馬山は山岳信仰、山伏による密教も盛んであった。そのため山の精霊である天狗もまた鞍馬に住むと言われる。鞍馬に住む大天狗は僧正坊と呼ばれる最高位のものでありまた鞍馬山は天狗にとって最高位の山のひとつであるとされる。
鞍馬寺参道石段・wikipedia-photo
仁王門・wikipedia-photo
中門・wikipedia-photo
本殿金堂・wikipedia-photo
本坊(金剛寿命院)・wikipedia-photo
奥の院魔王殿・wikipedia-photo
大杉権現社(2018年の台風による倒壊前)・wikipedia-photo
僧正ガ谷不動堂・wikipedia-photo
国宝
木造毘沙門天立像、木造吉祥天立像、木造善膩師童子(ぜんにしどうじ)立像(鞍馬寺霊宝殿)
木造毘沙門天立像・wikipedia-photo
木造吉祥天立像・wikipedia-photo
霊宝殿入館料 – 鞍馬山博物館である霊宝殿への入場料。高校生以上200円、中学生以下100円。9:00から16:00までの開館で毎週火曜日と12月12日から2月末日は休館。
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「鞍馬寺公式ホームページ」 – 「鞍馬寺案内図」
鞍馬寺案内図(「オープンストリートマップ」より。)

「鞍馬寺の雲珠桜 – 京都旅屋 ~気象予報士の観光ガイド・京都散策」、「鞍馬寺 桜」「鞍馬山、鞍馬寺 鐘楼。:日々是好日:So-netブログ」
鞍馬寺資料リンク
「都名所図会」・「巻之六 後玄武再刻 鞍馬寺(一枚目)」、「巻之六 後玄武再刻 鞍馬寺(二枚目)」、「巻之六 後玄武再刻 松尾山鞍馬寺(一枚目)解説」、「巻之六 後玄武再刻 松尾山鞍馬寺(一枚目)解説」
鞍馬寺(拡大図)
「年中行事大成. 巻之1-4 / 速水春暁斎 画図」・「鞍馬寺竹伐之図」(6-28)、「解説-1・右ページ中程より」(6-32)、「解説-2」(6-33)
「鞍馬寺 仁王門 – Google Map 画像リンク」「鞍馬寺
– Google Map 画像リンク」「普明殿 – Google Map 画像リンク」「中門 – Google Map 画像リンク」「開運毘沙門天 – Google Map 画像リンク」「多宝塔 – Google Map 画像リンク」「弥勒堂 – Google Map 画像リンク」「九十九折 – Google Map 画像リンク」「転法輪堂 – Google Map 画像リンク」「寝殿 – Google Map 画像リンク」「本殿金堂 – Google Map 画像リンク」「閼伽井護法善神社 – Google Map 画像リンク」「光明心殿 – Google Map 画像リンク」「金剛寿命院 – Google Map 画像リンク」「鞍馬山霊宝殿 – Google Map 画像リンク」「木の根道 – Google Map 画像リンク」「義経公背比べ石 – Google Map 画像リンク」「僧正谷不動堂 – Google Map 画像リンク」「義経堂 – Google Map 画像リンク」「奥の院魔王殿 – Google Map 画像リンク」
カメラ北北西方向が鞍馬寺仁王門です。
中門前のカメラです。
本殿金堂前のカメラです。
カメラ北東方向が本殿金堂、カメラ北北西方向が光明心殿、その左側が本坊(金剛寿命院)で、その間に奥の院参道があります。
カメラ東南東方向が大杉権現社(2018年の台風による倒壊前)です。
カメラ北北西方向が不動堂で、カメラ東南東方向に義経堂があります。
カメラ北西方向が魔王殿です。