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清水寺(善光寺堂)、清水寺(馬駐)、清水寺(西門)、清水寺(三重塔)、清水寺(鐘楼)、清水寺(春日社)、清水寺(中興堂/良慶和上御霊屋)、清水寺(随求堂)、清水寺(経堂)、清水寺(北総門)、清水寺(千体石仏群)、清水寺(田村堂)、清水寺(朝倉堂)、清水寺(轟門)、清水寺(本堂・清水舞台)、清水寺(釈迦堂)、清水寺(百体地蔵堂)、清水寺(阿弥陀堂)、清水寺(お砂踏み場の宝筺印塔)、清水寺(奥の院)、清水寺(音羽の滝)、子安塔、清水寺(泰産寺)、アテルイ・モレの碑
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清水寺経書堂、宝性院、成就院(清水寺本坊)、地主神社
清水寺
[清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水にある寺。山号を音羽山。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮である。もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。西国三十三箇所観音霊場の第16番札所である。
清水寺は法相宗(南都六宗の一)系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院の1つである。また、石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場であり、鹿苑寺(金閣寺)、嵐山などと並ぶ京都市内でも有数の観光地で、季節を問わず多くの参詣者が訪れる。古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産に登録されている。
延暦24年(805年)には太政官符により坂上田村麻呂が寺地を賜り、弘仁元年(810年)には嵯峨天皇の勅許を得て公認の寺院となり、「北観音寺」の寺号を賜ったとされる。『枕草子』は「さわがしきもの」の例として清水観音の縁日を挙げ、『源氏物語』「夕顔」の巻や『今昔物語集』にも清水観音への言及があるなど、平安時代中期には観音霊場として著名であったことがわかる。
清水寺の伽藍は康平6年(1063年)の火災(扶桑略記に言及)以来、近世の寛永6年(1629年)の焼失まで、記録に残るだけで9回の焼失を繰り返している。平安時代以来長らく興福寺の支配下にあったことから、興福寺と延暦寺のいわゆる「南都北嶺」の争いにもたびたび巻き込まれ、永万元年(1165年)には延暦寺の僧兵の乱入によって焼亡している。現在の本堂は上記寛永6年の火災の後、寛永10年(1633年)、徳川家光の寄進により再建されたものである。他の諸堂も多くはこの前後に再建されている。
境内は標高242メートルの清水山(音羽山)中腹に石垣を築いて整地され、多くの建物が軒を接するように建ち並んでいる。入口の仁王門を過ぎ、西門、三重塔、鐘楼、経堂、田村堂(開山堂)、朝倉堂などを経て本堂に至る。本堂の先、境内の東側には北から釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院が崖に面して建つ。本堂東側の石段を下りた先には寺名の由来でもある名水が3本の筧(かけい)から流れ落ちており、「音羽の滝」と呼ばれている。音羽の滝からさらに南へ進むと、「錦雲渓」と呼ばれる谷を越えた先に塔頭寺院の泰産寺があり、「子安塔」と呼ばれる小さな三重塔がある。北には清水寺本坊の成就院がある。
重要文化財(建造物)
●仁王門 – 仁王門(重要文化財) – 境内入口に建つ朱塗りの門。三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺きで、正面左右に鎌倉時代末期の金剛力士(仁王)像を安置する。室町時代の建立で、馬駐(うまとどめ)、鐘楼とともに寛永6年(1629年)の大火をまぬがれた。
●馬駐(うまとどめ) – 室町時代
●西門
●三重塔
●鐘楼 – 慶長12年(1607年)
●経堂
●田村堂(開山堂)附:厨子1基
●朝倉堂 附:厨子1基
●鎮守堂(春日社)
●本坊北総門
●轟門
●釈迦堂
●阿弥陀堂
●奥の院 附:厨子1基
●子安塔
●地主神社本殿・拝殿・総門(清水寺とは別法人) 地主神社境内地も社殿と一体をなして価値を形成するものとして重要文化財に指定されている。
以上の建物のうち特記のないものは寛永年間(1630年代)の建立である。
ウィキメディアコモンズには、清水寺仁王門の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・清水寺より)]
「清水寺公式ホームページ」 – 「清水寺境内図(kiyomizudera2008.PDF)」
清水寺境内図(施設名称はスクロールして確認してください)

グーグル・アート・プロジェクト – World Wonders – 「古都京都の文化財:清水寺」
「清水寺 桜」
清水寺資料リンク
「都名所図会」・「巻之三 左青龍再刻 音羽山清水寺 (清水寺)」、「巻之三 左青龍再刻 音羽山清水寺 (清水寺・一枚目)解説」 、「巻之三 左青龍再刻 音羽山清水寺 (清水寺・二枚目)解説」
音羽山清水寺 (清水寺)(拡大図)
[音羽山清水寺(おとはやませいすいじ)
新勅撰
けふこすは音羽のさくらいかにぞと見る人ことに問まし物を
権中納言俊忠]
「都林泉名勝図会」・「巻之三 清水寺西門」「巻之三 円養院」(廃絶)、「巻之三 南蔵院」
[浮瀬と呼ばれた滝下の茶店は,滝の南に位置する清水寺の塔頭群であったが、時宗寺院の塔頭とは異なり、一般に茶店と認識されるような小規模なものであった。その中で,舞台や滝に面して配置されていた北部の二塔頭(南蔵院・慶養庵)は、部屋の周囲に縁が設けてあり、滝や舞台や奥の院を見渡すことができた。 (「近世後期の祇園清水あたり における寺院座敷の構成 – 土木学会」より)]
清水寺西門(拡大図)
「花洛名勝図会」・「東山之部 六 音羽山清水寺 (清水寺・一枚目)」、「東山之部 六 音羽山清水寺 (清水寺・二枚目)」、「東山之部 六 音羽山清水寺 (清水寺)解説」、「東山之部 六 音羽瀧」、「東山之部 六 音羽瀧解説」
「都名所画譜」・「巻之上 清水瀧 (音羽の瀧)」、「巻之下 清水 (清水寺)」
「国立国会図書館デジタル化資料 – 浪花百景付都名所」 – 「都名所之内 音羽山清水寺」
カメラ東方向が清水寺仁王門です。
カメラ東方向が清水寺仁王門で、カメラ右方向に西門その奥に三重塔が見えます。
カメラ東南東方向が清水寺仁王門です。
カメラ西南西方向が清水寺仁王門です。