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粟田神社
[粟田神社(あわたじんじゃ)は、京都府京都市東山区粟田口鍛冶町にある神社。京の七口の一つである粟田口に鎮座し、古くから旅立ち守護の神として崇敬を集めている。旧社名は、「感神院新宮」「粟田天王宮」と呼ばれていたのが、明治になり「粟田神社」と改められた。
御祭神は、
●主座 – 素戔嗚尊(スサノヲノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)
●左座 – 八大王子命(ハチダイオオジノミコト)
●右座 – 櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)、神大市比賣命(カムオオイチヒメノミコト)、佐須良比賣命(サスラヒメノミコト)
左座の八大王子命は素戔嗚尊の八柱の御子神であり、八島士奴美神、五十猛神、大屋彦神、大屋津媛神、抓津媛神、須勢理媛神、大年神、宇迦之御魂神とされる。
10月の体育の日前日に行われる夜渡り神事、体育の日に行われる神幸祭、15日に行われる例大祭を総称して粟田祭(あわたまつり)、粟田神社大祭(あわたじんじゃたいさい)と呼ばれる。神幸祭に巡行する剣鉾(けんぼこ)は祇園祭の山鉾の原形といわれている。
本殿・wikipedia-photo
粟田祭で用いられる神輿・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、粟田神社の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・粟田神社より)]
「粟田神社ホームページ」 – 「境内案内」
粟田神社境内図(「オープンストリートマップ」より。)
粟田神社資料リンク
「都名所図会」・「巻之三 左青龍再刻 牛頭天王 (天王社)」、「巻之三 左青龍再刻 粟田天王社 (天王社)解説」
牛頭天王 (天王社)(拡大図)
[図会右ページ中央右に尊勝院(元三大師)、その下に御猿堂(金蔵寺)、左ページ右上に牛頭天王(天王社・粟田神社)、そこの左下に仏光寺廟所、その左上に親鸞聖人植髪尊像(華頂山御堂・知恩院)が描かれています。]
「花洛名勝図会」・「東山之部 二 粟田天王社 」(図会の左下に白川橋が、左ページ上に粟田神社が、右ページ上に尊勝院・元三太師、中に金蔵寺・御猿堂が描かれている。)、「東山之部 二 粟田天王社解説」
「伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [編画] ; [秋里湘夕] [撰]」・「粟田口天王祭」(1-14)
[粟田口天王祭
毎歳九月十五日昼夜二度の渡御あり。御輿なし。瓜の鉾を以て振り奉る。其余氏の町よりも鉾数多持連て随ふ。其飾いたつて美麗なり。昼は粟田御殿に入り、夜は白川橋を越へ、水際を智恩院さかひの一ツ橋へ廻り、此橋の上にて曲技工妙を尽す。其路をてらす。 燎おびたゞしき事、図の如し。夜寅の刻に至る。 (「伊勢参宮名所図会」より)]
[挿絵は『伊勢参宮名所図会』巻一に載せられた粟田神社の例祭の様子を描いたもので、粟田口祭りともいわれます。江戸時代には9月15日行われる祭礼でした。今日では粟田祭の名で知られていて、10月9日・10日・15日に行われています。
その昔、知恩院にある瓜生石より一夜にして実った瓜があり、その瓜には「牛頭天王」の文字。そこで牛頭天王をお祀りする粟田神社に奉納したとか。ちなみにこのお話は知恩院の七不思議のひとつ。この奉納に因んで行われたのが天王祭なのです。ですから天王祭の天王は、牛頭天王のことなのです。
挿絵の解説によると、昼夜、2度の渡御があり、神輿や鉾をもって行われ、鉾には瓜などの飾り付けが施され非常に美麗であったといいます。絵の右から2番目の鉾にはこの瓜の飾り付けがされた鉾が見えます。昼には粟田神社で、夜には白川橋を越えて川沿いを知恩院方面に向かい、一つ目の橋の上で鉾の曲持ちが行われ、それぞれの持ち手が技を競いました。絵は丁度、紅葉の飾り付けをした鉾の持ち手が神妙な顔つきで技を披露しています。川沿いには篝火が焚かれ、技の一部始終を見ることができるようになっています。乳飲み子を抱いたお母さん、子たちを連れたお父さん、孫を連れたお祖父さん、見物客の中には子供の姿も多く見えます。 (「03. 名所図会類の図像解釈:nishi-note」- 「19.粟田口 天王祭」より)]
「年中行事大成. 巻之1-4 / 速水春暁斎 画図」・「夏越祓之図」(6-35)
[大祓は民間では、毎年の犯した罪や穢れを除き去るための除災行事として定着した。民間の場合、6月のものは「夏越の祓」(なごしのはらえ)、12月のものは「年越の祓」(としこしのはらえ)と呼び分けられる。夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。参道の鳥居や笹の葉を建てて注連縄を張った結界内に茅で編んだ直径数 m ほどの輪を建て、ここを氏子が正面から最初に左回り、次に右回りと 8 字を描いて計3回くぐることで、半年間に溜まった病と穢れを落とし残りの半年を無事に過ごせることを願うという儀式である。かつては茅の輪の小さいものを腰につけたり首にかけたりしたとされる。これは、『釈日本紀』逸文の『備後国風土記』に記されている疫隈国、素盞嗚神社の蘇民将来伝説に由来するもので、武塔神の指示により茅の輪を腰につけたところ災厄から免れ、武塔神は自らを速須佐雄と名乗り去っていったと書かれている。 (wikipedia・大祓より)]
カメラ位置は粟田神社参道口で、カメラ南方向に一の鳥居があります。
粟田神社二の鳥居内参道のカメラです。
カメラ初期設定方向が粟田神社拝殿で、左方向に舞殿、舞殿左方向に方向社務所と能舞台、その左方向に北向稲荷神社と太郎兵衛神社があります。
粟田神社拝殿前のカメラで、反転すると舞殿、舞殿左方向に社務所と能舞台、その左方向に北向稲荷神社と太郎兵衛神社があります。