一ノ井堰碑

マーカーは一ノ井堰碑です。

一ノ井堰碑(いちのいぜきひ)
[葛野大堰は,5世紀頃に秦氏が造ったとされ,場所はこの附近と推定される。一ノ井は,洪水調整や灌漑用として造られた取水口であり,室町時代には松尾・桂・革島等の農業灌漑用水として利用されていた。この石標は一ノ井堰の跡を示すものである。
所在地 西京区嵐山西一川町
位置座標 北緯35度00分40.1秒/東経135度40分42.8秒(世界測地系)
建立年 1980年
建立者 一之井堰並通水利組合
寸 法 高202×幅100×奥行85cm
碑 文
[北西]
一ノ井堰碑
京都府知事 林田悠紀夫
秦氏本系帳によれば山城地方の開発につとめた大豪族秦氏が昭王の事績にならって 当時の日本にはたぐい稀な葛野大堰をつくったとされているそしてその築造の時期は五世紀頃と考えられ その場所はこの地附近と推定されている また応永二十六年(一四一九)に描かれた桂川用水路図には法輪寺橋のやや下流の右岸に一ノ井と云う名称で用水取入口が記入されているが それから見れば現在地がそれと同一場所であることに間違いない その当時この樋門は松尾桂川岡の十ヶ郷の農地灌漑用水路として潤っていた
昭和五十五年二月建之 一之井堰並通水利組合
調 査 2002年2月25日  (「NI003 一ノ井堰碑 – 京都市」より)]

カメラ南東方向が一ノ井堰碑です。