子安地蔵尊

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子安地蔵尊
[江戸時代には安産の神として女性に信仰され、一方、峠を旅する人には旅路の安全を祈願する峠の地蔵として、今も国道9号線沿いに祀られています。  (「31 大枝 桂坂 – 京都市埋蔵文化財研究所」より)]

[老ノ坂の子安地蔵
京阪京都交通の老ノ坂峠バス停付近に「子安地蔵尊」として地蔵菩薩が祀られている。『一心二河白道』という物語によれば、この地蔵は丹波国の大長者の娘、桜姫であるとされる。以下が物語の概要である。
桜姫は丹波国の佐伯の郡司あきたかという大長者の一人娘で、清水寺の観音の申し子であった。才色兼備のこの姫が十五となったころ、姫に養子を取るに当たって清水寺に親子三人で参詣した。宿坊に逗留中の姫が乳母とともに音羽の滝のほとりに佇んでいたところ、清水寺の住持の弟子である式部卿清玄という若僧が滝の上から姫を見かけ、姫に恋心を抱いてしまう。清玄が歌をしたためた短冊を姫の前へと落とすと、姫はそれを拾い上げて懐にしまった。あきたか夫婦と姫が参詣から戻って養子縁組の祝言を挙げたその夜、姫の寝屋近くの天上から下がってきた光の中に「心」という字が現れて、美しい若僧の首に変じた。それを見た聟は逃げ帰ってしまい、養子は破談となる。二人目の聟にも同じ理由で逃げられて、三人目に聟となった摂津国多田庄の田辺みきのじょう吉長は、現れた首を何者かの執心と見て斬りつけたところ、首は消え去った。姫に尋ねると「清水の音羽の滝で短冊を拾ってから、その短冊の主だという若僧が夜な夜な夢に訪れてきます」と言う。
吉長が清水寺の住持に会見して「私はあきたかの長男ですが、参詣虚しく妹の桜姫が急病にて亡くなりましたので代参に参りました」と言うと、清玄が寄って来てしきりに事情を聞きたがる。そこで吉長「妹が死の間際にもう一度逢いたがっていた若僧とはあなたのことだったのですね。今生の縁は切れたとあきらめて供養してください。ご修行に障りますから丹波にお越し下さるには及びません」と言って清玄を騙した。そう言われたものの清玄は悲嘆のあまり丹波へと下り途中で宿を取ったところが、宿の亭主から今日は佐伯の郡司の息女の婿取りの吉日と聞かされて激怒する。祝宴の最中に斬り込んだ清玄は吉長に刀傷を負わせ、姫をも斬ろうとするが間一髪で吉長に首を刎ねられる。
吉長は深手を負ったが、山伏の教えによって摂津国有馬温泉の湯につかると21日で全快した。大願成就した姫が新しい湯屋を寄進すると諸国から人が集まった。あるとき現れた一人の病人の垢掻きを姫が手ずから行なうと、病人は「薬師如来の背中を掻いたことを他言してはならん。清玄は地獄で、次いで畜生道で苦しむ。汝の罪は重い、早々に仏道に入れ」と言って虚空に昇っていった。姫は髪を下ろして手紙を残し、夜陰にまぎれて忍び出た。姫はこのとき懐胎していた。
都に上って仏門に入ろうとした姫は、摂津国呉服神社で産気づいて動けなくなった。そこへ老僧が現れて「社頭を汚さないよう五丁ほど離れた里へ行って産をせよ。私は清水から来たものである」と言って消えた。姫は社を立ち退いてある一軒家の主人に頼んでそこで産をした。男子を出産すると、姫は自分の身の上を主人に打ち明けてから死んだ。一方身重の姫を案じて探しに来た吉長がたまたま宿を頼んだ一軒家こそ姫の宿った家で、吉長は姫の遺骸と子供を泣く泣く引き取った。
姫は中有の旅をさまよっていた。畜生道には清玄が堕ちて苦しんでおり、姫を見つけるやいなや蛇身となって追ってきた。姫は逃げたが行く手には水火二河の白道が横たわっている。絶体絶命の姫の前に観音が姿を現し「一心に念仏してその細道を渡れ」と言う。姫がその通りにすると弥陀の名号が剣となって蛇の首を斬り落とした。姫は白道を渡って極楽へと迎えられた。産褥に死んだ姫は身重の女性を救う誓いを立てて子安の地蔵となった。丹波国老ノ坂の子安地蔵は姫の姿を写したものである。(網野善彦ほか(編)『人生の階段』〈いまは昔 むかしは今 5〉福音館書店、pp. 28-35。)  (wikipedia・大枝山より)]

子安地蔵尊 – Google Map 画像リンク

カメラ西南西方向に子安地蔵尊が祀られています。