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松尾大社
[松尾大社(まつのおたいしゃ)は、京都府京都市西京区嵐山宮町にある神社。式内社(名神大社)で、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
本殿は室町時代の造営で、全国でも類例の少ない両流造であり国の重要文化財に指定されている。また多くの神像を有することでも知られ、男神像2躯・女神像1躯の計3躯が国の重要文化財に、ほか16躯が京都府指定有形文化財に指定されている。そのほか、神使を亀とすることでも知られる。
酒神としての信仰
狂言「福の神」によると、松尾神は「神々の酒奉行である」とされ、現在も神事に狂言「福の神」が奉納されるほか、酒神として酒造関係者の信仰を集める。その信仰の篤さは神輿庫に積み上げられた、奉納の菰樽の山に顕著である。松尾神を酒神とする信仰は、起源は明らかでないが、一説に渡来系氏族の秦氏が酒造技術に優れたことに由来するともいい(同社御由緒)、『日本書紀』雄略天皇紀に見える「秦酒公」との関連も指摘される。中世以降は貞享元年(1684年)成立の『雍州府志』、井原西鶴の『西鶴織留』に記述が見える。社伝では社殿背後にある霊泉「亀の井」の水を酒に混ぜると腐敗しないといい、醸造家がこれを持ち帰る風習が残っている。
社殿
本殿は、弘安8年(1285年)の焼失を受けて室町時代初期の応永4年(1397年)に再建されたのち、天文11年(1542年)に大改修されたものになる。部材のほとんどは天文11年のものであるため、現在の文化財に関する公式資料では天文11年の造営とされている。形式は桁行三間・梁間四間、一重、檜皮葺。屋根は側面から見ると前後同じ長さに流れており、この形式は「両流造」とも「松尾造」とも称される独特のものである。本殿は東面しており、彫刻や文様など随所には室町時代の特色が表れている。天文の大改修後は嘉永4年(1851年)、大正13年(1924年)に大修理が加えられ、昭和46年(1971年)に屋根葺き替え等の修理が行われた。この本殿は国の重要文化財に指定されている。
本殿の北側には、本殿と並ぶ形で神庫が立つ。この神庫は縦二間・横三間、校倉造で、檜皮葺。室町時代初期の「近郷図」ではこの場所に仮殿が見えるが、元禄・寛政期の絵図では代わって神輿庫が見える。その神輿庫は文久3年(1863年)に拝殿南側の現在地に移築され、さらに代わって建てられたのがこの神庫になる。
本殿には向拝を接して釣殿(つりどの)が接続しており、その釣殿の東に接して回廊が南北に延び、本殿と神庫を囲む。この回廊には3つの門が開かれており、中央の本殿正面にあたる門は「中門」、北の門は「北清門」、南の門は「南清門」と称される。回廊は板敷で、釣殿・回廊・門の屋根はいずれも檜皮葺である。なお、これらのうち釣殿は「近郷図」には見えない。以上の建物は嘉永4年(1851年)の改築になる。また回廊の右手奥には神饌所があり、献上される神饌はここで調理される。
中門正面にある拝殿は入母屋造で、檜皮葺。広場の中央に立ち、大祓式のほか各種神事で使用される。この拝殿は、元禄・寛政期の絵図でも同一の様式で描かれている。また、表参道に建つ楼門は桁行(間口)三間・梁間(奥行)二間の三間一戸楼門で、屋根は入母屋造檜皮葺。寛文7年(1667年)に棟上げされた。高さ約11メートルで大規模なもので、華美な装飾はなく和様系で古式の楼門である。
境内入り口に立つ鳥居は、有栖川宮幟仁親王の筆になる額「松尾大神」を掲げる。鳥居には「脇勧請(わきかんじょう)」と呼ばれる榊の小枝の束12本が下げられているが、これは鳥居の原始形式を示すものと伝える。
亀の井
大社の社殿背後には、「亀の井(かめのい)」と称される松尾山からの湧水の泉がある。この亀の井の水を酒に混ぜると腐敗しないといい、醸造家がこれを持ち帰って混ぜるという風習が現在も残っている。松尾大社が酒の神として信仰されるのはこの亀の井に由来するもので、その信仰により全国に創立された松尾神の分社は1,280社にも及ぶという。
「亀の井」の名称は、松尾大社の神使が亀であることに由来するとされる。神社文書によれば、松尾神は大堰川を遡り丹波地方を開拓するにあたって急流では鯉に、緩流では亀に乗ったといい、この伝承により鯉と亀が神使とされたとされる。
松風苑
境内には「松風苑(しょうふうえん)」として、昭和50年(1975年)に完成した庭園が広がる。松風苑は3種類の庭園からなり、それぞれ「上古の庭」は上古風に磐座を模した庭園、「蓬莱の庭」は鎌倉時代風に蓬莱島を模した庭園、「曲水の庭」は平安時代風に清流が流れる様を模した庭園である。これらは近代の作庭家の重森三玲最晩年の作でその代表的なものであり、昭和の日本庭園を代表するものの1つとされる。
大鳥居・wikipedia-photo
鳥居・wikipedia-photo
楼門・wikipedia-photo
「拝殿(手前)と中門・本殿(右奥)」・wikipedia-photo
「本殿(右手奥、国の重要文化財)と中門・回廊」・wikipedia-photo
本殿・wikipedia-photo
亀の井・wikipedia-photo
上古之庭・wikipedia-photo
曲水之庭・wikipedia-photo
蓬莱之庭・wikipedia-photo
(wikipedia・松尾大社より)]
松尾大社境内図(「オープンストリートマップ」より。)
松尾大社資料リンク
「都名所図会」・巻之四 右白虎再刻 松尾社 (松尾大社)、巻之四 右白虎再刻 松尾社 (松尾大社)解説、巻之四 右白虎再刻 松尾祭礼 (松尾大社祭礼)
松尾社 (松尾大社)(拡大図)
古神札焼納祭・1月15日
「年中行事大成. 巻之1-4 / 速水春暁斎 画図」・「爆竹之図」(1-36)
「夏越祓之図」(6-35)
[大祓は民間では、毎年の犯した罪や穢れを除き去るための除災行事として定着した。民間の場合、6月のものは「夏越の祓」(なごしのはらえ)、12月のものは「年越の祓」(としこしのはらえ)と呼び分けられる。夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。参道の鳥居や笹の葉を建てて注連縄を張った結界内に茅で編んだ直径数 m ほどの輪を建て、ここを氏子が正面から最初に左回り、次に右回りと 8 字を描いて計3回くぐることで、半年間に溜まった病と穢れを落とし残りの半年を無事に過ごせることを願うという儀式である。かつては茅の輪の小さいものを腰につけたり首にかけたりしたとされる。これは、『釈日本紀』逸文の『備後国風土記』に記されている疫隈国、素盞嗚神社の蘇民将来伝説に由来するもので、武塔神の指示により茅の輪を腰につけたところ災厄から免れ、武塔神は自らを速須佐雄と名乗り去っていったと書かれている。 (wikipedia・大祓より)]
「松尾大社 – Google Map 画像リンク」、「松尾大社 拝殿 – Google Map 画像リンク」、「松尾大社 亀の井 – Google Map 画像リンク」、「松尾大社 神像館 – Google Map 画像リンク」、
カメラ西南西方向が松尾大社鳥居です。
カメラ初期設定方向が松尾大社拝殿で、拝殿左に中門があります。
カメラ西方向が中門で、カメラ東北東方向が拝殿です。
松風苑までのストリートビューで、西南西方向を進むと亀の井、松風苑・神像館があります。
カメラ位置は松尾大社曲水の庭です。