六斎念仏

「Google Earth で街並散歩(日本編)」で取り上げた、六斎念仏についてまとめてみました。

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    [六斎念仏(ろくさいねんぶつ)とは、踊念仏のひとつ。踊念仏は、平安時代中期の僧空也によって始められたと伝えられるが、中世に入り「南無阿弥陀仏」の念仏に複雑な節調がつけられ、当初はだけであったが、それに太鼓が加わり、いつからか「六斎念仏」と呼ばれるようになったという。その名称の由来は定かでないが、単純に六斎日に行われた為であると辞書類一般では説明される。なお、六斎日とは1ヶ月のうち在家の者が八斎戒を守らなければならない日のことで、8日・14日・15日・23日・29日・30日の6日であった。
    京洛近郊の六斎念仏は一部特殊な展開を見せ、本来のものとは別個の形式を近世以降派生させるに至った。それの最も大きな特徴は、使用する楽器に笛を取り入れた点である。このようなものを、従来の形と区別する便宜より、「六斎念仏踊り(単に「六斎踊り」とも)」ないし「芸能六斎」と学術上呼称する。その内容は、念仏から離れた娯楽要素の強い曲目の演奏である。
    かかる形態の出現によって、一方では保守本流の六斎念仏講も存在し続けたために、京都周辺には、二種類の様式がともに「六斎念仏」として混在する事態が起こった。なお、現在は上述の用語に対比させて、元々の六斎念仏のことをやはり学術上「念仏六斎」と称している。但し、実際には「鉦講」という名で各地元ではむしろ親しまれてきた(上鳥羽橋上鉦講、嵯峨水尾の鉦講など)。
    ところで、いずれの六斎念仏を始めるに当たっても、各講は管轄の寺院より免許を受ける決まりであった。寺院は二つで、干菜寺(干菜山光福寺:京都市左京区田中上柳町)と、空也堂(紫雲山極楽院光勝寺:京都市中京区亀屋町)である。そのどちらから免許を受けたかによって、「干菜寺系六斎」「空也堂系六斎」という分類をされることもある。干菜寺は六斎の芸能化を認めなかったとされ(その旨の通達文書がある)、他方空也堂はその辺り寛容であったらしく、芸能六斎は全て空也堂系に帰している。なお、空也堂系にも念仏六斎は存在するので、これら系統の比較と、念仏・芸能の差異は対応しない。  (wikipedia・六斎念仏より)]

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