マーカーは村上義光の墓です。
村上義光の墓
[村上義光の墓と伝えられる墓が、蔵王堂より北西約1.4kmの場所にある。案内板によると身代わりとなって蔵王堂で果てた義光を北条方が検分し、親王ではないと知って打ち捨てられたのを哀れと思った里人がとむらって墓としたものだという。墓には玉垣に囲まれた宝篋印塔と、向かって右に大和高取藩士内藤景文が天明3年(1783年)に建てたとされる「村上義光忠烈碑」がある。なお、子の義隆の墓は蔵王堂より南1.5km、勝手神社から下市町才谷へと抜ける奈良県道257号線沿いにある。
村上義光の墓・wikipedia-photo
(wikipedia・村上義光より)]
「村上義光 公の墓 – Monumento(モニュメント)」、「村上義光(むらかみよしてる)宝篋印塔」
「大和名所図会. 巻之1-6 / 秋里舜福 [著] ; 竹原信繁 画」・「大塔宮吉野城(金峯山城)元弘の乱.JPG」(6-36)
カメラ西南西方向に村上義光の墓案内板があり、石段上に村上義光の墓があります。