四国八十八箇所

四国八十八箇所(四国八十八ヶ所とも表記される)は、四国にある空海(弘法大師)ゆかりの88か所の仏教寺院の総称で、四国霊場の最も代表的な札所である。他に「八十八箇所」「お四国さん」「本四国」などの呼称がある。四国八十八箇所を巡礼(巡拝)することを四国遍路、遍路といい、また四国八十八ヶ所霊場会では「四国巡礼」といい、他に「四国巡拝」などともいう。俳句では春の季語となり、地元の人々は巡礼者を「お遍路さん」と呼ぶ。また、札所に参詣することを「打つ」、巡礼に親切にすることを「お接待」と表現する。
阿波国(現・徳島県)の霊場は「発心の道場」で23か寺、土佐国(現・高知県)の霊場は「修行の道場」で16か寺、伊予国(現・愛媛県)の霊場は「菩提の道場」で26か寺、讃岐国(現・香川県)の霊場は「涅槃の道場」で23か寺が、88の霊場寺院の内訳である。寺院には長い歴史の中で栄枯盛衰があり、選定された時点では88の寺院はいずれも札所として遜色のない立派な伽藍であったであろうが、戦乱や火災により衰退の時期もあった。現在はそうした寺院も復興を果たしている。
2015年(平成27年)4月24日には、日本遺産の最初の18件の一つとして「四国遍路ー回遊型巡礼路と独自の巡礼文化」が文化庁により認定された。2019年10月29日には、同庁により「歴史の道百選」に「四国遍路」が選ばれた。
修行の地・四国
古代から、都から遠く離れた四国は辺地(へじ・へぢ)と呼ばれていた。平安時代頃には修験者の修行の道であり、讃岐国に生まれた若き日の空海もその一人であったといわれている。空海の入定後、修行僧らが大師の足跡を辿って遍歴の旅を始めた。これが四国遍路の原型とされる。時代が経つにつれ、空海ゆかりの地に加え、修験道の修行地や足摺岬のような補陀洛渡海の出発点となった地などが加わり、四国全体を修行の場とみなすような修行を、修行僧や修験者が実行した。
四国遍路の成立
信仰上は、空海が42歳の厄年の弘仁6年(815年)に四国霊場を開創したとされているが、史実ではない。ほかに、空海死後に弟子の真済(800-860年)が遺跡を巡拝したとあるが、伝承の域である。その後、平安時代末期に『今昔物語集』や『梁塵秘抄』に四国辺地修行したことを記載する。聖宝(832-909年)や重源(1121-1206年)も四国で辺地修行をし、西行は1167年に崇徳上皇を祀った白峯御陵(白峯寺)参拝をしているが、成立している形跡はない。鎌倉時代に入ると、道範(1178-1252年)が『南海流浪記』に、空海遺跡を参拝したことが書かれており、一遍(1239-1289年)も遺跡を廻ったことを記載する。これらは断片的で、全体としての成立がなされていないことを示している。室町時代になると僧侶の修行としての巡拝だったのが、庶民にも広がったと云われている。なお、1350年前後に善通寺を再興した宥範が、また、道隆寺や天皇寺の住職を務め四国の多くの社寺を復興した増吽(1366-1452年)が四国遍路の成立や88箇所の選定に関わっている可能性がある。誰だったにしろ、弘法大師が88箇所を定めたと空海に仮託し、自らの名を残していない。
江戸時代初期になると、賢明の寛永15年(1638年)に巡拝した記録『空性法親王四国霊場御巡行記』には、現在とほぼ同じ札所がほぼ同じ順番で記されている。澄禅の日記(1653年巡拝)には、井戸寺からスタートしたものの文中に「大師は阿波の北分十里十ケ所、霊山寺を最初にして阿波土佐伊予讃岐と順に…」とあるように、番号こそ記載はないが、霊山寺が最初の札所であるのが慣例であったと見なされる。 そして、澄禅が巡拝途中に阿波海部で『辺路札所ノ日記』を購入しているが、それは、現存している元禄9年(1696年)に重版された『奉納四國中邊路之日記』の先行版のことであるとみられ、札所番号こそ記載がないが、次の札所までの距離・本尊・御詠歌が88の項目の表として記載、澄禅が巡拝する以前から、既に八十八箇所が確定していたことがわかる。
その後、真念によって1687年出版された『四國邊路道指南(しこくへんろみちしるべ)』には札所番号が記され、札所間の内容や本尊・寺の状況が端的に記されている。真念の情報により書かれた寂本の『四国遍礼霊場記』(1689年)は詳しく由緒が書かれ、境内状況が描かれた絵が載せられ、読み物としても興味深い。これらの本の流布により修行者が行っていた遍路が一般人にも開かれた。それまでは四国の辺々を歩いて回りながら修業をすることが意識されている巡礼から、ある決まった寺を参拝して回るということが四国遍路であるというふうに四国遍路のあり方が変わり、それが後の時代に引き継がれていった。また、手の形の矢印で順路を示した遍路道の石造の道しるべも篤志家によってこの時期に設置され始めたといわれる。  (wikpedia・四国八十八箇所より)]

四国八十八ヶ所 遍路道中図 駸々堂 発行 / 1921/07/05

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    添付してあるマイマップのへんろ道については「四国遍路道の道標・丁石」さんの一連ページを参照して、Google Map のストリートビューで道標・丁石を確認し、確認できたポイント及びストリートビューでとらえた道標、へんろみち案内矢印、休憩所、公衆トイレ等をマークアップし、ルートはGoogle Map の地図と航空写真で確認、確認できなかったルートはOpenStreetMapで座標取得して描画していますが、土佐の青龍寺(土佐市)と岩本寺(高岡郡四万十町)間の「焼坂峠越え」「添蚯蚓坂越え」区間は「土佐 歩き遍路;第三十六番札所 青龍寺から第三十七番札所 岩本寺へ ②焼坂峠・添蚯蚓坂を越え岩本寺へ」の「Google マイマップ」図からデーターをKML にエクスポートして座標を利用させてもらいました。

    阿波(発心の道場・徳島県 1 – 23番)
    霊山寺(鳴門市)極楽寺(鳴門市)金泉寺(板野郡板野町)大日寺(板野郡板野町)地蔵寺(板野郡板野町)安楽寺(板野郡上板町)十楽寺(阿波市)熊谷寺(阿波市)法輪寺(阿波市)切幡寺(阿波市)藤井寺(吉野川市)焼山寺(名西郡神山町)大日寺(徳島市)常楽寺(徳島市)阿波国分寺(徳島市)観音寺(徳島市)井戸寺(徳島市)恩山寺(小松島市)立江寺(小松島市)鶴林寺(勝浦郡勝浦町)太龍寺(阿南市)平等寺(阿南市)薬王寺(海部郡美波町) 

    土佐(修行の道場・高知県 24 – 39番)
    最御崎寺(室戸市)津照寺(室戸市)金剛頂寺(室戸市)神峯寺(安芸郡安田町)大日寺(香南市)土佐国分寺(南国市)善楽寺(高知市)竹林寺(高知市)禅師峰寺(南国市)雪蹊寺(高知市)種間寺(高知市)清瀧寺(土佐市)、青龍寺(土佐市)岩本寺(高岡郡四万十町)金剛福寺(土佐清水市)延光寺(宿毛市)

    伊予(菩提の道場・愛媛県 40 – 65番)
    観自在寺(南宇和郡愛南町)龍光寺(宇和島市)佛木寺(宇和島市)明石寺(西予市)大寶寺(上浮穴郡久万高原町)岩屋寺(上浮穴郡久万高原町)浄瑠璃寺(松山市)八坂寺(松山市)西林寺(松山市)浄土寺(松山市)繁多寺(松山市)石手寺(松山市)太山寺(松山市)圓明寺(松山市)延命寺(今治市)南光坊(今治市)泰山寺(今治市)栄福寺(今治市)仙遊寺(今治市)伊予国分寺(今治市)横峰寺(西条市)香園寺(西条市)宝寿寺(西条市)吉祥寺(西条市)前神寺(西条市)三角寺(四国中央市)

    讃岐(涅槃の道場・香川県 66 – 88番。ただし、66番は香川県・徳島県境の徳島県側にある。)
    雲辺寺(徳島県三好市)大興寺(三豊市)神恵院(観音寺市)観音寺(観音寺市)本山寺(三豊市)弥谷寺(三豊市)曼荼羅寺(善通寺市)出釈迦寺(善通寺市)甲山寺(善通寺市)善通寺(善通寺市)金倉寺(善通寺市)道隆寺(仲多度郡多度津町)郷照寺(綾歌郡宇多津町)天皇寺(坂出市)讃岐国分寺(高松市)白峯寺(坂出市)根香寺(高松市)一宮寺(高松市)屋島寺(高松市)八栗寺(高松市)志度寺(さぬき市)長尾寺(さぬき市)大窪寺(さぬき市)