マーカーは夢のわだです。
夢のわだ
[象の小川の水が吉野川に流れ落ちる場所で、多くの万葉人が歌を残しています。 (「夢のわだ(ゆめのわだ) | 吉野町公式ホームページ」より)]
[宮滝には滝はありません。 滝は「たぎつ」(川水がたぎり流れるところ)の意味です。 そして、屏風のように切り立った岩は宮滝の特徴であり、この景観は今でも変わりません。 ここ宮滝では江戸時代に、「岩飛」といって、お金をもらって岩から飛び込む見世物が行われていました。図会には、飛び込む里人たちが躍動感のあるタッチで描かれており、左上には見物人たちの様子もうかがえます。 (「宮瀧(吉野町) | 歴史文献で訪ねる奈良 | 奈良県歴史文化資源 ..」より)]
「大和名所図会. 巻之1-6 / 秋里舜福 [著] ; 竹原信繁 画」・「宮瀧」(7-18)
[平安時代以降、「吉野」と言えば、「吉野山」を指すようになったようですが、それ以前、飛鳥時代は吉野川上流の宮滝周辺を指したそうです。そこは緑深く水清い神仙境でした。『日本書紀』には応神天皇がここに離宮(宮瀧遺跡)を設け、壬申の乱に勝利して即位した天武天皇や皇后のち持統天皇らも吉野へ御幸を行いました。こう書くと、神聖な場所のイメージが付きますが、大和名所図会の挿図をご覧ください。ふんどし姿で岩場から飛び込んでいるのは、夏休みの子どもたち…ではなく、おじさん方ではありませんか(青年かもしれませんが)。飛び込んで向こう岸へ泳いでいく人、飛び込んだ直後で逆立ち状態になっている人、おどけたポーズで宙に飛び出した人、後ろ宙返りで飛び込もうとしている人、人生を振り返りながら飛び込もうかな・やめとこうかな・ワシ泳げないし…と考え込んでいるように見える人。とにかく川遊びに夢中な男たちがいきいきと描かれています。そして、彼らを眺め、おだてて、楽しむ人たち。ここに神仙境の神聖さはありません。挿図の上には、貝原益軒『和州巡覧記』から、「宮滝は滝にあらず。両方に大岩あり。その間を吉野川ながるるなり。」「岩の高さは五間(約9m)ばかり。屏風を立てたるごとし。」「里人岩飛とて、岸の上より水底へ飛び入りて、川下におよぎ出でて人に見せ銭をとるなり。」などと引用されています。現代の飛び込み競技のように大技を競っているのは、遊びではなく、挿図にも描かれている見物人を楽しませてお代を徴収する見世物であったようです。ちゃっかりしています。大和名所図会の本文に「善く水練なる者、石頭より水中に投げて、流に随うて下流に出づ。これを飛瀧といふ。」と書かれているのは、このことです。清澄な川で遊ぶ爽快感は江戸時代も令和時代も変わりません。ただし、現在の宮滝では、絶対に絵のマネをしてはいけません。飛び込み禁止です。絶対にダメです。 (「『大和名所図会』今昔めぐり 33 宮滝(巻之六)」より)]
「夢のわだ – Google Map 画像リンク」「吉野川展望デッキ – Google Map 画像リンク」
吉野川展望デッキからの夢のわだ(宮滝)周辺のカメラです。