常念寺

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常念寺
[大和郡山城の外堀の一部を整備して外堀緑地公園となっているが、その北端に位置するのが常念寺である。公園に接して白壁の塀が調和し、散策する人にも一つの景観を提供している。
常念寺は、現在の平群町から大和郡山天正年間(1573~92年)移り、18世紀初めに現在地に移っている。
大和郡山藩主からも寄進を受けたり、家老の菩提寺でもあった。  (「常念寺 (奈良県大和郡山市): お寺の風景と陶芸」より)]

[佛壟山と号し、真宗東本願寺の末寺である。その開基は大忍法師である。この寺は、天正年中(1573-92)に大和国平群郡 福貴畑(奈良県平群町)から、郡山城下の綿町に移された寺である。もと真言宗であったが、慶長元年(1596)に真宗となる。 元和 4 年(1618)、時の城主水野勝成によって本堂・表門などが再建され、このとき水野家の家紋“沢瀉”を拝領したと寺伝に あり、寺紋に“波に沢瀉”を用いている。
延宝 8 年(1680) 10 月 25 日夜(「旧記」/ 12 月 15 日)、新町より出火した大火により城下 9 町において家数 670 余りと、常念寺(綿町)・光慶寺(今井町)・浄真寺(野垣内町)の三か寺も類焼している(『徳川実紀』ほか「旧記類」)。そして大火後、野垣内町の浄真寺跡へ移されたのが常念寺である。
本堂は 18 世紀はじめに建てられ、桁行 18.21 m、梁間 15.36 m の本瓦葺 入母屋造で、 1 間の向拝が付く。梵鐘正徳 6 年(1716)、河内国吹田郡枚方村の田中河内大自藤原家成の鋳造になる。また、本堂裏には永正 8 年(1511) 7 月の六文字石(念仏講衆中)が建つ。そのほか山門の結構も長屋門海鼠塀の穴門、高楼を乗せた塗り込めの長屋などは郡山城下でも異彩を放って見どころの一つとなっている。  (「城下町百話【町・寺社地】下」より)]

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常念寺山門前のカメラです。

常念寺本堂前のカメラです。