平城京西市船着場跡

マーカーは平城京西市船着場跡です。

平城京西市船着場跡(秋篠川・西の堀川)
[平城京などの古代の都城には、京の南端近く朱雀大路を挟んで、東西二ヶ所に政府が管理する市場が設けられた。
この市場に物資を運ぶため市(いち)に接して運河(東堀川・西堀川)がつくられました。
秋篠川は平城京造営時に条坊にあわせ、直線化された人工河川です。佐保川より遡って西市(現大和郡山市九条町)へ物資を運ぶ水路として活用された「西の堀川」と呼ばれていました。
西堀川は薬師寺の東大門の前を流れ京内を流下しさらに四周の河川を集め飛鳥川から大和川をへて難波の海へ出た。さまざまな物資は逆にこの川筋を上がり京へ運ばれ唐招提寺・薬師寺及び西市の運営にも活用されたと推測されます。
        寄贈 平城京西市保存会会長
           米  山  祐  司  (「平城京西市船着場跡案内板(画像リンク)」より)]

平城京西市船着場跡 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向樹木左に平城京西市船着場跡案内板があります。