平城京西市跡碑

マーカーは平城京西市跡碑です。

平城京西市跡
[平城京には、二つの官営市場がありました。右京八条二坊の西市と左京八条三坊(奈良市東九条町・杏町付近)の東市で、奈良時代の流通の中心となっていました。西市は近鉄九条駅の東側一帯にあったと推定されています。その広さは五、六、十一、十二坪の四坪(約 70,000 ㎡)を占めていたと考えられています。この説明板が立っているところが西市の東の端にあたります。
 市は市司(いちのつかさ)によって管理され、周囲には垣がめぐり、四方に門があったと推定されています。市は正午から日没まで開かれ、店には商品の名札が立てられ、米・麦・魚・海藻・塩・野菜などの食料品、麻・絁(あしぎぬ)などの衣料品、その他日用品や装身具などさまざまのものが売られていました。平城京の推定人口は 10 万人、かれらの生活を支え、物資調達の中心となっていたのです。
 平城京からは、「西市(司)交易銭」と書かれた付札の木筒が発見されています。西市で物品を購入するのを銭差し、(紐を通して束ねてある銭)に付つけられたものです。
        西市跡保存会  (「平城京西市跡説明板(画像リンク)」より)]

西市交易銭付札
[「西市(にしいち)」は平城京右京八条二坊にあった公設市場。左京八条三坊に置かれた東市(ひがしいち)とともに、平城宮の宮殿や役所で使用する物品の多くはここで調達された。これはそこでの「交易(こうえき)」(物品購入)用の「銭(ぜに)」(和同開珎(わどうかいちん))の付札。銭を孔に紐を通して束ね木簡を括り付けた。  (「西市交易銭付札(平城宮跡内裏北外郭官衙) 文化遺産オンライン」より)]

平城京西市跡 右京八条二坊十二坪の発掘調査 – 全国遺跡報告総覧」 – 「17535_1_平城京西市跡右京八条二坊十二坪の発掘調査.pdf」

平城京西市跡 – Google Map 画像リンク

カメラ北東方向が平城京西市跡碑・説明板です。