マーカーは枳殻(きこく)地蔵堂です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 京阪神図」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
枳殻(きこく)地蔵
[奈良時代に、矢田寺参りの分岐点の道しるべとして創設されました。周囲に、外部からの災いを防ぐために枳殻(からたち)が植えられたことから、枳殻(きこく)地蔵と呼ばれ親しまれるようになりました。
堤防の幅を拡げて洪水を流れやすくする工事のため、郡界橋の架け替え工事を行う際に現地蔵堂は平成 18 年に現在地に移設されました。移設前の地蔵尊側にはイチョウの大木と枳殻の木が生えておりましたが、イチョウの大木については移植を検討しましたが、 移植することができませんでした。
なお、枳殻の木については、移設後、きこく地蔵尊にちなんで、苗木が地蔵堂裏側に植えられました。 (「きこく地蔵尊 – 国土交通省近畿地方整備局」より)]
「今昔マップ on the web」の1892~1910年の地図中央・平和村の左上・佐保川左に下ツ道が描かれ、そのT字路に枳殻(きこく)地蔵があることになると思われます。
カメラ北方向に枳殻(きこく)地蔵堂があります。