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柳沢文庫
[柳沢文庫(やなぎさわぶんこ)は、奈良県大和郡山市にある図書館。郡山藩主であった柳沢氏をはじめとする歴史的資料や地域資料を保存、公開する施設である。
郡山城毘沙門曲輪に昭和35年(1960年)秋、郷土の子弟教育のさらなる発展を願う有志により、柳沢保承(当時の柳沢家(郡山藩旧藩主家)当主)が作った郷土史書を中心として設立された。明治時代に建設された旧柳沢邸を館施設としている。
古文書・典籍など歴史史料のほか、柳沢吉保の一代記である『楽只堂年録』、奈良県下および柳沢家の大和郡山移封以前の甲斐国甲府藩主家時代の藩政史料などを収蔵し、柳沢氏の菩提寺である永慶寺とともに柳沢氏に関する資料を多く伝存している。
関連地域の自治体史や歴史・文学系を中心とした一般蔵書を広く公開し、企画展も実施している。
利用情報
開館時間 – 9:00から17:00まで(入館は16:30まで)
休館日 – 月曜、祝休日ほか
柳沢文庫・wikipedia-photo
(wikipedia・柳沢文庫より)]
[柳沢文庫の建物は、郡山藩最後の藩主・柳沢伯爵家(柳沢保申)の迎賓館的な場所として建てられたもので、隣にある住宅部分と渡り廊下で結ばれ、東京都港区芝(当時は東京府芝区)の本邸に対して郡山別邸と呼ばれていた。
この建物は、棟札などが発見されていないため正確な年代は不明だが、明治38年から39年ごろに建てられたのではないかといわれている。それ以前は、旧藩士の別邸を利用したものが大和郡山市植槻町にあったが、後に郡山城内の毘沙門郭内に建てられた。
正面から見ると、まず目に付くのは大きな車寄せのある玄関。建物の顔とも言えるこの部分は、芝の本邸が関東大震災の復興工事で、道路が拡張されるため立ち退きとなったため、その一部を移築した。資材は当時の国鉄で鉄道により運ばれたといい、工事は昭和3年に完成している。
永らく柳沢邸として使われてきた建物も、昭和35年、柳沢保承氏の発意による財団法人郡山城史跡・柳沢文庫保存会の発足で、同家から会に建物を寄贈。その際、本館と隣家をつないだ渡り廊下が取り払われるなどして現在の姿となった。
玄関から入ると、長い廊下がある。廊下の先は応接間を利用した図書室。西隣には大広間を含めて和室が3部屋あり、現在は展示スペースに充てられている。釘(くぎ)を一切使わず寄せ木細工のように組み合わされた床材、建設当時に外国から直輸入した大広間の照明器具、図書室の応接セットなど、ハイカラだった洋風建築をしのばせる。 (「グラフ|【やまと建築詩】柳沢文庫(旧柳沢邸) – 奈良新聞」より)]
柳沢文庫大玄関前のカメラです。