光浄院客殿・庭園

マーカーは光浄院です。

光浄院客殿・庭園
[光浄院 – 園城寺金堂の北方に位置する子院。
●客殿(国宝) – 勧学院客殿より1年あとの慶長6年(1601年)に元光浄院の住持であった山岡景友により再建される。規模、意匠など勧学院客殿と似る。桁行七間、梁間六間、一重入母屋造、正面軒唐破風付の総杮葺き。内部の障壁画および襖絵は狩野山楽の筆によるもので重要文化財に指定されている。寝殿造りの流れをくむ主殿造とされる。広縁の奥には付書院、出書院と呼ばれる造り付けの机を設けた上段の間が突出しており、このような小部屋を持つ書院は光浄院客殿のみとされる。
●庭園(国の名勝史跡) – 客殿に南面して広がる池泉観賞式庭園。池が客殿の広縁の真下まで食い込み客殿と一体化した、池上建築に似た構成を取る。池中に石橋を架けた亀島や夜泊石を設け、山畔には立石を組んだ枯滝を配する。
護摩堂 – もとは十八明神社の拝殿で、ここに移築したもの。
●表門  (wikipedia・園城寺より)]

光浄院客殿
[●国宝 桃山時代(慶長六年 1601)
●正面七間 側面六間 一重 入母屋造
妻入 正面軒唐破風付 総柿葺
光浄院は、室町時代山岡氏によって建立されました。 現在の光浄院客殿は秀吉の闕所後、かつて光浄院住持を務めていた山岡道阿弥(山岡道阿弥屋敷跡)が 慶長六年に再興したものです。
特徴
光浄院は、山内で最も格式の高い子院で、その外郭には、 城郭を思わせる豪快な石垣が見られます。
外観は、勧学院客殿とほぼ同じでありますが、 内部の部屋数や配列などに相違が見られ、 一之間の付書院が広縁に張り出すプランなどには、伝統的な形式の中に 新しい要素を取り入れたものとされています。
一之間、二之間には狩野派による華麗な障壁画が残されています。
桃山時代における、書院の代表的建築として極めて貴重です。
※光浄院客殿は一般公開致しておりません。
光浄院の特別拝観については「拝観案内」の特別拝観の項をご覧下さい。  (「三井寺>名宝の紹介>建造物>光浄院客殿」より)]

光浄院 – Google Map 画像リンク

光浄院表門(Google Map 画像)