天孫神社

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天孫神社
[天孫神社(てんそんじんじゃ)は、滋賀県大津市にある神社。社格は旧県社。
祭神
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
国常立尊(くにのとこたちのみこと)
大己貴尊(おおなむちのみこと)
●帯中津日子尊/仲哀天皇(たらしなかつひこのみこと/ちゅうあいてんのう)
●以上四柱の主神の他に塩土翁/塩土老翁(しおつちのおじ)も祀っているとされる。
由緒
延暦年間(782年~806年)の創建と伝えられる。はじめ琵琶湖畔にあったが、文明年間(1469年~1487年)に現在地に移った。元慶6年(882年)に従五位下の神位を授けられた「近江国海南神」と見られている国史見在社論社である。明治維新までは「四宮神社」と称したが、明治初年に現在の社号となった。
祭礼(大津祭)
例祭は10月の体育の日の前日の日曜日の本祭(曳山巡行)。本祭前日の土曜日の宵宮と併せて大津祭と称される(古くは四宮祭礼、四宮祭と称した)。日吉大社の山王祭、建部大社の祭礼とともに大津三大祭のひとつに数えられる。また、山王祭、長浜曳山祭とともに湖国三大祭のひとつともなっている。かつては10月9日が宵宮、10日が本祭(曳山巡行)であったが、2000(平成12)年に体育の日が10月10日から10月第2月曜日へ変更になり、これに合わせその前々日の土曜日、前日の日曜日に行われるようになった。本祭(曳山巡行)では現在13基の曳山(山車)が市内を巡行し、曳山の上から厄除けや手拭い、布巾が撒かれる(かつては餅入り粽やお菓子なども撒いていた)。各曳山にはからくり人形が乗せられており、各所で所望(大津祭では「しょうもん」と発音する。)が披露される。幕末まで曳山は、現在休山中の神楽山を含め14基あった。
大津祭の起源は、慶長年間(1596年~1615年)に鍛冶屋町の塩売治兵衛(塩屋治兵衛とも)が狸の面をつけて踊ったのが最初とされる。以降治兵衛を屋台に乗せたり、1622(元和8)年より年老いて踊れなくなった治兵衛の代わりに腹鼓を打つ狸のからくりを乗せたり、1635(寛永12)年より屋台に地玉を付け子供に曳かせたりして氏子内を練り歩き、1638(寛永15)年に現在のような三輪の曳山の原型ができる。(当時はまだ祇園祭の舁山のような天井のない屋台だったと思われる。)以降150年ほどかけて狸山を皮切りに14基の曳山が作られていった。
2016年(平成28年)3月2日、国の重要無形民俗文化財に指定された。
天孫神社南(大津駅側)神門(平成21年(2009年)10月11日撮影)・wikipedia-photo

  (wikipedia・天孫神社より)]

天孫神社ホームページ」 – 「境内図

東海道名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [編]」・「大津京町 四宮明神 精大明神」(1巻 – 71・右ページ中右に四宮が描かれています。)

伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [編画] ; [秋里湘夕] [撰] 」・「大津 四宮祭引山」(1巻 – 38)、「大津四宮」(1巻 – 39)

[大津 四の宮祭引山 九月九日十日
西行梶  かぢや町
源氏山  中条町
祈水山  中ほり町
亜五母  丸や町
龍門澱  古間町
神楽   堅田町
石橋   みなと町
猩々   南保町
西の宮  塩や町  湯主  玉や町
神功皇后 猟師町
殺生石  柳町   月宮殿 上町
郭巨   橋本町
都合十四番各金玉色漆に飾り錦繍綾緯の帷幕を張て木偶機関の巧妙をなしすべて美を尽し 翡翠目を奪ふ
練物荷ひ物
造花  橋本町   汐汲  末や町
獅々  八幡町   頼光峯入 境川町
道祖神 元所町 鉾 小唐傳町
御供  東八丁 唐子遊 新町
八月十六日は御輿払ひにて 其火引山の鬮取并百石町より 紙の御輿を出す
九月 七日 山飾
九月十六日 御輿院  (「伊勢参宮名所図会」より)]

天孫神社 – Google Map 画像リンク

カメラ西方向が表参道です。

カメラ北北東方向が天孫神社神門です。