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平野神社
[社伝によると、天智天皇が志賀の大津の宮に遷都された時都の三里以内に守護神として祀られたと伝えられ天智称制七年即ち白鳳元年正月下旬に鎮座した。藤原鎌足公の創立と伝えられる京都西洞院家の管領の社である。「精大明神」(けまりの守護神)は猿田彦命で三十五代皇極天皇の御代、京都西洞院滋野井に鎮座の精大明神を御神託により大津松本本宮狐谷に奉遷された。現在旧跡に社標現存す。本宮に御鎮座当時、封戸数千石、摂社八十社有り。四時神事怠る事なく代々の帝王や武将の崇敬も厚かった。しかし応仁の乱で社殿等焼失したがその後天正二年現在地に遷座された。
村上天皇の天徳年中大宮内にけまりの技芸さかんに行なわれ、けまりの技芸さかんに行なわれ、けまりの会には奉幣があった。飛鳥井、難波両家はけまりの会には必ず社参され、まりあそびや和歌などを奉納された。明和年中に奉納された八足案三脚は現在も例祭で使用されている。難波中納言宗尚郷御染筆の和歌に「道まもる神の恵も幾代へり云松本の宮」とある。境内にはけまり神社の社標や石とうろ、神前にまりをふまえた狛犬がある。 (「神社紹介 > 滋賀県の神社 > 滋賀県神社庁」より)]
「東海道名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [編]」・「大津京町 四宮明神 精大明神」(1巻 – 71・左ページに精大明神が描かれています。)
「伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [編画] ; [秋里湘夕] [撰] 」・「蹴鞠精神」(1巻 – 41)
カメラ南西方向が平野神社参道口です。