律院

マーカーは律院です。

律院
[比叡山麓の日吉大社・表参道の北側に建つ律院は、かつては松禅院と呼ばれていて、比叡山・横川の総里坊でした。
明治廃仏毀釈までは大変権威のある寺(里坊)で、歴代横川に住み、修行を重ねた高僧が六十歳に達した時に天台座主から『里坊を賜って』小僧の給仕を受けて、余生を過ごした寺であります。
通りに面した表は穴太衆積みの石垣に囲まれていて、門を入って右側には叡山ゴケに被われた池泉回遊式の見事な庭園が目の前に広がります。庭園は座敷から拝見するのがベストポイントになるように設計されていますが、正面に建つ藁葺き四阿や、手前の巨石を掘り抜いた手水鉢なども見事で、見あきない名園であります。
この寺は、大正末期に坂本に住む民間人の手に渡り相当荒れてしまったと聞きます。
昭和二十四年に無動寺千日回峰行者初代律院住職叡南祖賢師が大阪・財界の援助を受け、比叡山へ買い戻しました。
祖賢師は当時横川・飯室谷の安楽律院の管領を務められましたので、寺号を『律院』とされました。入寺後、境内を整備するため本堂を大阪の寺を移築して寺容を整える一方、この里坊であまたの小僧を養成し、現在ご覧になるような寺容が整えられました。
本堂は文禄年間に豊臣秀頼の兄で早世した鶴松の菩提を弔って、淀君が建てたという、桃山時代の建造物で、本尊釈迦如来、格天井の絵画にその豪華と華麗さの片鱗が伺えます。  (「律院 – Over-rev」より)]

坂本の里坊庭園 – ROOM 1 琵琶湖の風物詩

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カメラ北方向が律院山門です。