マーカーは日吉大社西本宮本殿です。
日吉大社
[日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。
歴史
文献では、『古事記』に「大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」とあるのが初見だが、これは、日吉大社の東本宮の祭神・大山咋神について記したものである。日枝の山(ひえのやま)とは後の比叡山のことである。日吉大社は、崇神天皇7年に日枝山の山頂から現在の地に移されたという。
また、日吉大社の東本宮は、本来、牛尾山(八王子山)山頂の磐座を挟んだ2社(牛尾神社・三宮神社)のうち、牛尾神社の里宮として、崇神天皇7年に創祀されたものとも伝えられている。なお、三宮神社に対する里宮は樹下神社である。
西本宮の祭神・大己貴神については、近江京遷都の翌年である天智天皇7年(668年)、大津京鎮護のため大神神社の神が勧請されたという。以降、元々の神である大山咋神よりも大己貴神の方が上位とみなされるようになり、「大宮」と呼ばれた。
平安京遷都により、当社が京の鬼門に当たることから、鬼門除け・災難除けの社として崇敬されるようになった。神階としては、元慶4年(880年)に西本宮の祭神が、寿永2年(1183年)に東本宮の祭神が、それぞれ正一位に叙せられた。『延喜式神名帳』では名神大社に列格し、さらに長暦3年(1040年)、二十二社の一社ともなった。
最澄が比叡山上に延暦寺を建立し、比叡山の地主神である当社を、天台宗・延暦寺の守護神として崇敬した。中国の天台宗の本山である天台山国清寺で祀られていた山王元弼真君にならって山王権現と呼ばれるようになった。延暦寺では、山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結びつけて山王神道を説いた。中世に比叡山の僧兵が強訴のために担ぎ出したみこしは日吉大社のものである。天台宗が全国に広がる過程で、日吉社も全国に勧請・創建され、現代の天台教学が成立するまでに、与えた影響は大きいとされる。
元亀2年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちにより、日吉大社も灰燼に帰した。現在見られる建造物は安土桃山時代以降、天正14年(1586年)から再建されたものである。信長の死後、豊臣秀吉と徳川家康は山王信仰が篤く、特に秀吉は、当社の復興に尽力した。これは、秀吉の幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」であることから、当社を特別な神社と考えたためである。
明治に入ると神仏分離令により、仏教色が廃された。また、本来の形に戻すとして、東本宮と西本宮の祭神を入れ替えて西本宮の大山咋神を主祭神とし、大物主神を祀る東本宮は摂社・大神神社に格下げした。明治4年(1871年)、官幣大社となった。1928年(昭和3年)、東本宮・西本宮ともに官幣大社となり、元の形に復した。
2006年(平成18年)6月7日、歴史的風土特別保存地区に指定された。
主な祭事
●大戸開き神事(1月1日) – 歳旦祭にあたるもので、日の出の前に、松明の火に照らされる中、片山能太夫によって、西本宮では能の「翁」(日吉の翁)が、東本宮では謡曲の「高砂」が奉納される。 このときの松明の火を自宅へ持ち帰って炊事に使う風習があるため、発火とも呼ばれる。
●山王祭(4月14日) – およそ1300年前、三輪明神が坂本に移ったとき、地元の人が大榊を奉納したのが起源とされ、祭礼の期間は、神輿上げ・大榊の神事・午の神事・献茶祭・花渡り・宵宮落とし・粟津の御供・神輿の還御・酉の神事・船路の御供まで、1ヶ月半に及ぶ。 特に山王七社の神輿の渡御は豪華であり、大榊の神事が静寂の中で行われるのと対照的であるという。
●山王礼拝講(5月26日) – 万寿2年(1025年)、僧が修行もせずに僧兵としての活動ばかりしていることが嘆かれ、西本宮にて、日吉大神を祀る法華八講が開催されたことが起源とされる。修祓や祝詞の後、法華経の問答が行われ、神仏習合の名残がうかがわれる。
●みたらし祭り(7月) – 摂社である唐崎神社で開催される、夏越しの大祓神事。大祓、茅の輪くぐり、人形流し、琵琶湖の湖上での護摩木のお焚き上あげなどが行われる。下半身の病気や、婦人科の病気に神徳があるとされる。なお、唐崎神社は七瀬の祓所のひとつとされる。
●もみじ祭(11月) – さまざまな行事のほか坂本地区一帯をふくめライトアップが行われる。
国宝
●西本宮本殿 – 天正14年(1586年)の建立。檜皮(ひわだ)葺きで、屋根形式は「日吉造」という、日吉大社特有のもの。正面から見ると入母屋造に見えるが、背面中央の庇(ひさし)部分の軒を切り上げ、この部分が垂直に断ち切られたような形態(縋破風)になっているのが特色。
●東本宮本殿 – 文禄4年(1595年)の建立。建築形式は西本宮本殿に似る。昭和初期までは「大神神社本殿」と呼ばれていた。
日吉大社二の鳥居・wikipedia-photo
日吉大社赤鳥居・wikipedia-photo
大宮橋(重要文化財)・wikipedia-photo
日吉大社山王鳥居・wikipedia-photo
西本宮 楼門(重要文化財)・wikipedia-photo
西本宮拝殿(重要文化財)・wikipedia-photo
西本宮 本殿(国宝)・wikipedia-photo
東本宮 楼門(重要文化財)・wikipedia-photo
東本宮拝殿(重要文化財)・wikipedia-photo
東本宮 本殿(国宝)・wikipedia-photo
(wikipedia・日吉大社より)]
日吉大社境内図(「日吉大社 – 名所旧跡案内」より)
❶猿塚、❷神猿舎、❸西本宮楼門神猿、❹西本宮楼門蟇股、❺猿柿、❻樹下宮神輿、❼猿の霊石、❽猿の馬場
「伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [画]」 – 「山王七社」、「其二」
「橋殿中の橋(走井橋)」
[禊神事、清祓い12日、社務所の裏を流れる大宮川で、宮司以下神職と駕輿丁(かよちょう)が山王祭の安全を願って禊を行う。
その後、大宮川にかかる走井橋のたもとで神職と山王祭実行委員会の委員長をはじめとする役員などがお祓いを受ける。 (「10.山王祭に見る歴史的風致 – 大津市」より)]
[日吉三橋の内、走井橋(はしりいばし)
走井橋は、大宮橋のすぐ下流にかかるお祓(はら)いをするための石造反橋(そりはし)です。
日吉三橋の中でも最も簡素な構造で、幅四・六メートル、長一三・八メートルを測ります。川の中に方柱の橋脚をたてますが、その数も六本と少なく、また桁(けた)も省かれ、橋脚の頭に継ぎ材をおいて、橋板をかけています。橋板に反りをつけることで、軽快な感じをよく出しています。
走井橋の名は、橋の傍らに走井という清めの泉があることに由来しています。
天正年間(一五七三~九二)豊臣秀吉が寄進したと伝えられていますが、木橋が現在の石橋に掛け替えられたのは、寛文九年(一六六九)のことです。
大正六年(一九一七)八月、日吉三橋の一つとして国の指定文化財となりました。
平成十七年(二〇〇五)十一月 大津市教育委員会 (「日吉大社走井橋と二宮橋(京都近郊観光大津市)」より)]
「山王祭礼坂本町の駕輿丁」
「御社の神輿 よミやおこし」
[大山咋神・鴨玉依姫神による出産、御子神誕生の儀式。
山王祭の神事中、最も勇壮な神事です。
前夜婚儀を挙げられたご夫婦の神様からお子様が誕生する様子を再現しています。
大政所(ストリートビュー)と呼ばれる場所に神輿が4基(同じ神様が2組いらっしゃいます)並べられ、生源寺にて読み上げ式(点呼)を済ませた駕輿丁(神輿担ぎ手)に達が神輿の到着するや、一斉に神輿を揺さぶり始めます。
坂本中に大きな音が響き渡りますが、それは神様の陣痛を表すともいわれており、4基揃った中での神輿振りは圧巻です。
やがて、儀式が執り行われ、結びの祝詞奏上と共に4基の神輿は一斉に1メートル以上ある高さから地面に落とされ(この瞬間が御子神誕生の瞬間です)、近くの鼠社(ストリートビュー)まで到着を競い、その後は行列を整えて西本宮拝殿に進みます。
この日の朝、他の3基の神輿はすでに西本宮拝殿に納められており、ここで初めて山王神輿7基が揃います。 (「山王祭 – 日吉大社」より)]
「山王神幸」、「其二」、「七祓柳海岸より七社の神輿御舩」、「其二」
[船渡御の出港
14日の16時ごろ、下阪本の七本柳にある桟橋から神輿を乗せた御座船(神輿船)が唐崎に向けて出港する。神輿は湖畔に到着すると、琵琶湖の方を向いて、西本宮の神輿を真ん中にして並べられる。西本宮の神輿の前で、神職により「御浦の神歌」が歌われたあと、神輿が順番に御座船に乗せられ、太鼓を打ち鳴らしながら、唐崎に向けて出港する。 (「10.山王祭に見る歴史的風致 – 大津市」より)]
「「東海道名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [編]」 – 「山王 二宮 十禅師」、「日吉山王 大宮」、「山王祭 唐嵜 神供」、「山王祭」
「日吉大社山王鳥居 – Google Map 画像リンク」、「日吉大社 西本宮 楼門 – Google Map 画像リンク」、「日吉大社 西本宮 拝殿 – Google Map 画像リンク」、「日吉大社 西本宮 本殿 – Google Map 画像リンク」、「日吉大社 宇佐宮 拝殿 – Google Map 画像リンク」、「宇佐宮本殿 – Google Map 画像リンク」、「日吉大社摂社白山姫神社拝殿 – Google Map 画像リンク」、「白山宮本殿 – Google Map 画像リンク」、「日吉大社 東本宮 拝殿 – Google Map 画像リンク」、「日吉大社 東本宮 本殿 – Google Map 画像リンク」、「樹下宮拝殿 – Google Map 画像リンク」、「樹下宮本殿 – Google Map 画像リンク」
カメラ北西方向が日吉大社参道口です。
山王鳥居西側のカメラです。
西本宮楼門前のカメラです。
東本宮楼門前のカメラです。