マーカーは京町一丁目交差点(札の辻)です。
札の辻
[旧東海道は、江戸時代にその道としての整備が完了し、江戸日本橋から京都三条までを結ぶ、旧五街道の一つである。安藤広重の東海道53次の版画で有名。大津市内には、京都に入る一つ手前の宿場町大津宿場があり、その界隈一帯は、非常に賑わっていた。
江戸時代大津は、各地からの物資が集積し商業都市として発展。その頃大津祭も誕生した。町は大津百町として表現され、街道筋は、宿屋が建ち並び、大いに賑わっていた。
ちなみに写真は、現在の札の辻の様子。ここで旧東海道は、東からくれば左に折れ、京に向かう。またこの札の辻は、北国街道との出発点でもある。当時の札の辻の様子は、大津歴史博物館のその模型があるのでそちらも参考のこと。 (「旧東海道 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてが …」より)]
[札の辻、札ノ辻、札之辻など。街道や宿場町など往来の多い場所に高札を立てた道・辻。
●高札 – 古代から明治時代初期にかけて行われた、法令を板に記して往来などに掲示して民衆に周知させる方法。 (wikipedia・札の辻より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第十 土山ヨリ京マデ」(コマ番号21/26)
左地図右上の「札辻」と右地図左端の「大津下札辻」は同じ場所で、東海道はここで直角に曲がります。
「伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [編画] ; [秋里湘夕] [撰] 」・「大津八丁 札之辻」(1巻 – 37)
[大津八丁 札之辻
其角
千観の 馬もせはしや としの暮 (「伊勢参宮名所図会」より)]
カメラ位置は京町一丁目交差点で、旧東海道はここで直角に折れる。また、カメラ北方向が北国海道で、カメラ西方向が「小関越」といい、「逢坂の関」を通らないで京へ行ける抜道となっていた。
カメラ南方向に「大津市道路元標」の石碑があります。