マーカーは東海道 月輪一里塚跡碑です。
東海道 月輪一里塚跡
[一里塚(いちりづか)は、旅行者の目印として大きな道路(街道)の側に1里(約3.927キロメートル)毎に設置した塚(土盛り)である。
塚の側に榎などの木を植えたり標識を立てたりしていた。
一里塚が全国的に整備されるようになったのは江戸時代である。慶長9年2月4日(グレゴリオ暦1604年3月4日)、徳川家康が子の徳川秀忠に命じ、金山奉行の大久保長安が総監督となって設置したのが始まりである。江戸幕府は江戸の日本橋を起点として全国の各街道の1里(約4 km)ごとに一里塚を設置するよう指令を出し、長安の指揮の元に一里塚の設置が行われ、10年ほどで完了した。一里塚の大きさは5間(約9 m)四方、高さ1丈(約1.7 m)に土を盛り上げてつくられ、一里塚の上には榎などの木が植えられ、木陰で旅人が休息を取れるように配慮されていた。また、植えられた樹木は築いた塚の崩壊を根で防ぐ役割も持つ。
●120里 – 月輪池 (滋賀県大津市一里山二丁目18) (wikipedia・一里塚より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第十 土山ヨリ京マデ」(コマ番号18/26)
絵図右池右に「江戸から百十五里 京から五里 一里塚」と記述されています。
「東海道 月輪一里塚跡 – Google Map 画像リンク」
カメラ東方向に東海道 月輪一里塚跡碑と案内板が設置されています。
月輪一里塚跡案内板(Google Map 画像)