マーカーは石山寺月見亭です。
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石山寺月見亭・芭蕉庵
[月見亭 – 石山寺の尾根の東の突端部にある亭。瀬田川や琵琶湖を望む景勝地にあり、ここから見る月は「近江八景 石山の秋月」の図で有名である。寺伝では保元年間(1156年 – 1158年)に後白河天皇が行幸した際に建立されたのがそもそもの始まりと伝わる。現存するものは貞享4年(1687年)の再建。建物は桁行一間、梁間一間であるが、東西方向にやや長い平面である。東寄りの正方形の方一間部分は床を上げて舞台状にしている。建具などは無く吹さらし。懸造となっているが、袴腰があるため明確ではない。屋根は寄棟造で、上部は茅葺、下部は杮葺きであったが、2017年(平成29年)に茅葺は板葺に葺き替えられた。
石山寺月見亭・wikipedia-photo
月見亭・wikipedia-photo
月見亭の月見・wikipedia-photo
(wikipedia・石山寺より)]
[月見亭は保元年間(1156~58)に後白河天皇が行幸の際建立したのが始まりとされ、後年になり何度も修繕されています。現在の建物は江戸時代前期の貞享4年(1687)に建てられたもので、寄棟、茅葺、四方に下屋庇を廻し、外壁は吹き放し、舞台風に高欄が廻り梁を張り出しそれらを支えて、基礎部は鐘楼などに見られる袴腰になっています。明治11年(1878)には明治天皇が明治20年(1887)には昭憲皇太后が、明治43年(1910)には大正天皇が大正7年(1918)には昭和天皇が大正11年(1922)には皇太后陛下など皇室の方々が数多く行幸され、月見亭より雄大な景観を眺められています。近江八景(石山秋月・勢多(瀬田)夕照・粟津晴嵐・矢橋帰帆・三井晩鐘・唐崎夜雨・堅田落雁・比良暮雪)の「石山の秋月」は瀬田川の清流を見下ろすこの地から眺めた風景と云われ、松尾芭蕉(江戸時代前期の俳人)もこの地で「石山の 石にたばしる あられかな」、「あけぼのは まだむらさきに ほととぎす」の句を残しています。 (「石山寺・月見亭 – 滋賀県:歴史・観光・見所」より)]
近江八景(石山秋月)
[近江八景(おうみはっけい)は、日本の近江国(現・滋賀県)にみられる優れた風景から「八景」の様式に則って8つを選んだ風景評価(作品の場合は題目)の一つである。
●石山秋月 [いしやま の しゅうげつ] = 石山寺(大津市)
●勢多(瀬田)夕照 [せた の せきしょう] = 瀬田の唐橋(大津市)
●粟津晴嵐 [あわづ の せいらん] = 粟津原(大津市)
●矢橋帰帆 [やばせ の きはん] = 矢橋(草津市)
●三井晩鐘 [みい の ばんしょう] = 三井寺(園城寺)(大津市)
●唐崎夜雨 [からさき の やう] = 唐崎神社(大津市)
●堅田落雁 [かたた の らくがん] = 浮御堂(大津市)
●比良暮雪(下絵) [ひら の ぼせつ] = 比良山系(大津市)
の8つのこと。 (wikipedia・近江八景より)
「東海道名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [編]」・「国分山芭蕉翁幻住庵古跡」(2巻 – 5)
石山寺境内図(「オープンストリートマップ」より。)
「芭蕉庵 – Google Map 画像リンク」、「月見亭 – Google Map 画像リンク」
カメラ南東方向・右が芭蕉庵、左が月見亭です。