マーカーは神田神社(真野普門3丁目)です。
神田神社(真野普門3丁目)
[(創建年代)972年
須佐之男命らを祭神とする。三間社流造の本殿は重要文化財。池を迂回する参道を抜けると木立の中に社殿があり、さらに奥の奥宮のあたりは苔むした石段が美しい。 (「神田神社(真野普門3丁目) – びわ湖大津」より)]
[真野普門三丁目。祭神は、彦国葺命(ひこくにふきのみこと)。本殿は、三間社流造(さんげんしゃながれづくり)という形式。緑の樹林を背景として、池の側に建つ本殿は優しい姿である。蟇股や懸魚(けぎょ)と呼ばれる細部の彫刻も巧妙で、見落とせない。本殿は南北朝時代の建築で重要文化財。 (「神田神社|歴史事典|大津市歴史博物館」より)]
[真野の入江の碑から西に行ったところには、神田神社があります。
神田神社は、『延喜式』に近江国滋賀郡に鎮座していると記載されている神社(式内社)です。祭神は彦国葺命と天足彦国押人命とされています。彦国葺命は真野氏の遠祖であるとされており、彦国葺命の子孫がこの地に社殿を建てたのが神田神社だと言われています。
現在、真野の地に神田神社は二社存在しています。真野4丁目(真野の神田神社:『滋賀県神社誌』にはカンタと読み仮名が振られています)と真野普門3丁目(普門の神田神社:こちらはカンダと振られています)です。式内社によくある問題として、『延喜式』に記載された神社の比定があげられます。つまり、近い場所にそれらしい神社が二社以上現存していると、そのどちらが本当の式内社であるかという点に注目が集まります。
普門の神田神社は真野の神田神社からさらに北西のほうへ約1km進んだ丘陵の先端にあります。本殿の棟札によると明徳元年(1390年)に建てられたことがわかっており、国の重要文化財に指定されています。真野の神田神社からこの地に勧請された時に本殿の建設が行われたとも考えられます。普門の神田神社は、北に曼陀羅山古墳群、南には真野川をはさんで春日山古墳群といった古墳群に囲まれています。これは、北にある小野神社と小野神社古墳群をはじめとした複数の古墳群の関係に見られるように、古代氏族とその墓域と神社との関係性が見られます。また、神社は尾根の先端にあり、現在も農業用水として機能している池を境内に取り込んでいるところから、南東に広がる平地の水源を抑えていたと考えられます。 (「新近江名所圖会 第335回 真野の入江と2つの神社-大津市 …」より)]
「神田神社(真野普門) – Google Map 画像リンク」
カメラ西北西方向が神田神社(真野普門3丁目)参道です。
神田神社(真野普門3丁目)鳥居(Google Map 画像)
神田神社(真野普門3丁目)本殿(Google Map 画像)