義仲寺

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義仲寺
[義仲寺(ぎちゅうじ)は、滋賀県大津市馬場1丁目にある単立(天台宗系)の寺院。山号は朝日山。本尊聖観音菩薩。境内全域が1967年、国の史跡に指定されている。
この寺の創建については不詳であるが、源義仲(木曾義仲)の死後、愛妾であった巴御前が墓所近くに草庵を結び、「われは名も無き女性」と称し、日々供養したことにはじまると伝えられる。寺は別名、巴寺、無名庵、木曽塚、木曽寺、また義仲寺と呼ばれたという記述が、すでに鎌倉時代後期の文書にみられるという。戦国時代に荒廃したが、天文22年(1553年)頃、近江守佐々木氏によって再興された。当初は石山寺の配下であったが、江戸時代には園城寺に属した。
俳人松尾芭蕉はこの寺と湖南のひとびとを愛し、たびたび滞在した。無名庵で句会も盛んに行われた。大坂で亡くなった芭蕉だが、「骸(から)は木曽塚に送るべし」との遺志により義仲墓の横に葬られた。又玄(ゆうげん)の句「木曽殿と背中合わせの寒さかな」が有名。その後、再び荒廃した同寺だが、京都の俳僧蝶夢が数十年の歳月をかけて中興する。1793年には盛大に芭蕉百回忌を主催した。
昭和期、第二次世界大戦敗戦後に再び荒廃壊滅の危機に瀕する。1965年(昭和40年)に再興された折に園城寺・三井寺円満院より独立し、単立の寺院となった。再建資金は、篤志家の寄進による。再建に尽力したフィクサー三浦義一と文芸評論家保田與重郎の墓所でもある。
文化財
●史跡(国指定) – 義仲寺境内 本堂である朝日堂、芭蕉翁を祀る翁堂、翁の宿舎無名庵、粟津文庫、木曽八幡社、巴地蔵堂など
●衣冠束帯姿で矢を持つ義仲の木像が安置されている。
伊藤若冲の描いた天井画15枚12種類が翁堂にある。形式から見て、現在信行寺にある花卉図天井画と一具だったと考えられる。両者は元々石峰寺観音堂の天井画であったが、幕末に破却され、花卉図は寺外に流出した。翁堂天井裏にある墨書によって、安政6年(1859年)6月、大津栄屋町の魚屋通六によって寄進された。現在は、デジタル技術によって忠実に複製され、一般公開されている。
山門・wikipedia-photo

本堂(朝日堂)・wikipedia-photo

義仲公墓・wikipedia-photo

松尾芭蕉の墓・wikipedia-photo

  (wikipedia・義仲寺より)]

東海道名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [編]」・「義仲寺 芭蕉塚 松本渡口場」(1巻 – 73)

[左ページに松本渡口場、右ページ中程右に義仲寺 芭蕉塚が描かれています。]

伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [編画] ; [秋里湘夕] [撰] 」・「義仲寺](1巻 – 43)

義仲寺 – Google Map 画像リンク」、「義仲寺 朝日堂 – Google Map 画像リンク

カメラ南南西方向が義仲寺山門です。