芦浦観音寺

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芦浦観音寺
[芦浦観音寺(あしうらかんのんじ)は、滋賀県草津市にある天台宗の寺院。宗教法人としての名称は「観音寺」。聖徳太子の開基と伝えられている。安土桃山時代には一城主の地位を認められ4万石の領土をもつなど栄えた。貞享2年(1685年)まで江戸幕府により琵琶湖の湖水奉行に任じられていた。東京都千代田区にある観音坂の名前の由来でもある。この坂の麓に当寺の江戸屋敷があった為である。境内は国の史跡に指定されている。2015年(平成27年)4月24日、「琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定される。
重要文化財
建造物
 ●阿弥陀堂 – 室町時代築
 ●書院 – 室町時代築
史跡(国指定)
 ●芦浦観音寺跡  (wikipedia・芦浦観音寺より)]

[大慈山芦浦観音寺は滋賀県草津市芦浦町に境内を構えている天台宗の寺院です。芦浦観音寺の創建は用明天皇(第31代天皇・在位:585~587年)の御代に聖徳太子が開いたとも、太子の命で秦河勝が開いたとも伝えられています。当初は三論宗の寺院だったようですが、延暦年間(782~806年)に比叡山延暦寺が開かれると芦浦観音寺の境内が延暦寺の境内から見て東南の方角に位置していた事から巽(東南)の守護として天台宗に改宗しています。
その後戦乱の兵火などで大きな被害を受け衰退しましたが、応永15年(1408)歓雅によって再興され大きな影響力を持つようになりました。室町時代には幕府より湖上管船奉行の役職を与えられ寺領500石が安堵され、境内には琵琶湖の船奉行所が設置、戦国時代には織田信長に従い、豊臣秀吉にも船奉行に追認され、さらに近畿社寺奉行となり4万石が与えられました。江戸時代初期までは大名と同格と考えられ、2万4千石を領し江戸屋敷跡は東京都千代田区の観音坂の由来となっています。
芦浦観音寺境内は水掘と石垣で囲むことで城塞化し、寺院であると同時に秀吉の家臣と同等以上の格式を得て当地を支配しました。芦浦観音寺境内は当時の様子が色濃く残り国指定史跡に指定され、阿弥陀堂(入母屋茅葺、桁行3間、梁間3間)と書院(入母屋、こけら葺、桁行5間、梁間3間、徳川将軍家の休息所と伝わる永原御茶屋を移築した建物)は国指定重要文化財に指定されています。山号:大慈山。宗派:天台宗。本尊十一面観音菩薩
境内
● 芦浦観音寺境内一帯-国指定史跡
●阿弥陀堂-天文22(1553)年-国指定重要文化財
● 書院-貞享2(1685)年-国指定重要文化財  (「草津市: 芦浦観音寺 – 滋賀県:歴史・観光・見所」より)]

芦浦観音寺ホームページ

滋賀県草津市 芦浦観音寺 – JAPAN GEOGRAPHIC

芦浦観音寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が芦浦観音寺参道口です。参道口前左に案内板が設置されています。

芦浦観音寺案内板(Google Map 画像)

芦浦観音寺山門前(Google Map 画像)

芦浦観音寺案内板(Google Map 画像)

芦浦観音寺本堂(Google Map 画像)

芦浦観音寺書院(Google Map 画像)

芦浦観音寺阿弥陀堂(Google Map 画像)