マーカーは逢坂山弘法大師堂です。
逢坂山弘法大師堂
[門前右に寛政6年(1794)の弘法大師常夜燈、『逢坂山 弘法太子堂』寺標、そして『弘法大師御舊蹟碑』が見えた。中央に弘法堂があり、中には小さな弘法大師像が安置され、
脇の不動堂には阿弥陀如来像と不動明王像などの石仏が安置されているのだと。
『弘法大師堂』の先(※西側)の道路脇にあった寛政6年(1794)の『逢坂常夜燈』。 (「大津宿・弘法大師堂~元祖走井餅本家碑 | JINさんの陽蜂農遠 …」より)]
「伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [画]」 – 「逢坂山」(1巻 – 28)(絵図には二ヶ所に常夜灯が描かれています。左ページが寛政6年(1794)の『逢坂常夜燈』、右ページが『弘法大師常夜燈』になると思います。)
[道行く人々が肩に担いでいるのは、京都と大津を往来する品物でしょうか。牛車の行列も京都に向かいます。いまも昔も交通の要衝としてにぎわう逢坂山の様子です。
逢坂は、現在の大津市逢坂です。
『伊勢参宮名所図会』は京都から伊勢参宮への絵入り地誌です。冒頭に「斎宮群行」の図を載せ、京都から近江の東海道を通り、伊勢に入る沿道の名所などを紹介しています。
第1巻では、京都三条大橋から、大津追分、逢坂山、大津八丁、膳所を経て石山までを記述しています。 (「0501580 – 滋賀県立図書館 近江デジタル歴史街道」より)]
カメラ西向が逢坂山弘法大師堂です。また、カメラ南南西方向に逢坂常夜燈があります。逢坂常夜燈は寛政6年(1794)の建立で、台座には東海道に敷かれた車石が使われています。