天満橋(摂洲天満橋)

マーカーは天満橋です。

天満橋
[天満橋(てんまばし)は、大川に架かる天満橋筋の橋。難波橋天神橋と共に浪華三大橋と称され、最も東(上流)に位置する。
江戸時代には公儀橋に指定され、幕府により直轄管理されていた。
江戸時代を通じて架橋地点は現在地より一筋東であり、その北詰の筋が天満橋筋と呼ばれていた。1771年(明和8年)に寝屋川・鯰江川との合流地点の逆流を防止するために将棊島(しょうぎじま)と呼ばれる堤防が築かれ、以降の天満橋は将棊島を跨ぐ橋となった。
天満橋を南から望む・wikipedia-photo

  (wikipedia・天満橋より)]

摂洲天満橋(せっしゅうてんまばし)(ボストン美術館よりダウンロード)

[摂州天満橋とは、大阪の大川に架る橋のこと、大阪三大橋の一つに数えられている。天満橋の名の由来は、近くにある天満宮から来ている。天満宮の祭である天神祭は、大阪の風物として古くから親しまれてきた。この絵は、その天神祭の様子を織り込んで描いたものである。橋の上には、欄干に祭提灯が並んで掲げられ、橋の下では、祭提灯をかざした船が行き交っている。これは天満船と称する屋形船で、普段は川釣りを楽しむのに使われたが、天神祭の際には、このように祭提灯をかざして、川を行き来したというわけであろう。  (「北斎諸国名橋奇覧(三):摂州天満橋、三河の八ツ橋の古図」より)]

歌川國員/画 三大橋(wikipedia-photo)

歌川國員/画 天満ばし風景(wikipedia-photo)

大阪の地図(1686年)(拡大図)

絵地図を右にスクロールすると、中之島の右に難波橋、天神橋、天満橋が描かれています。

天満橋