マーカーは布留の高橋です。
布留の高橋(記紀・万葉案内板)
[万葉集にも歌われている「布留の高橋」
万葉集 巻十二-二九九七 詠み人知らず
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石上(いそのかみ) 布留(ふる)の高橋 高高(たかだか)に
妹(いも)が待つらむ 夜(よ)そ更けにける
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【意訳】石上の布留の高橋のように、高々としきりにあの娘が私を待っているだろうに、
もう夜は更けてしまった
石上神宮の楼門から東へ100メートル余りの所、天理市石上付近の布留川にかかっていたとされる
橋桁の高い橋。今日その場所は不明ですが、布留と呼ばれた辺りに現代版の高橋が架かっています。
下を流れる布留川に目を落とすと、なるほど高橋と詠ったのだなぁと感じられます。
万葉集には、石上やフル〔山、川〕が詠まれた歌が、いくつもあります。
それらの歌が詠まれということは、人々にとって特別な思い、重要な役割を果たしていたのかもしれません。
また、記紀にも記述があり、その地域に、創建より現在まで歴史を見守ってきた「石上神宮」があります。
伝統行事の一つでもある神剣渡御祭(しんけんとぎょさい)〔通称:でんでん祭り/例年:6月30日〕で、江戸時代以前、禊(みそぎ)が行われていた「はたの滝」が、この近くにあります。
近年では見られませんが、夏になると子どもたちが、水浴びをしていたそうです。 (「布留の高橋〔記紀・万葉案内板〕 – ナビ天理.jp」より)]
「大和名所図会. 巻之1-6 / 秋里舜福 [著] ; 竹原信繁 画」・「布留瀧」(4-10)
「仁和のみかど、みこにおましましける時」(4-6)、
[詞書の意味は「光孝天皇が親王であった時、布留の滝をご覧になりに行く途中、遍照の母の家に泊まり、秋の野に見立てて造った庭で天皇をまじえていろいろと皆で話をした時に詠んだ」歌ということ。
歌の意味は言葉通りで、里は荒れて、住む人も年老いた宿だからでしょうか、庭も垣根も秋の野原のようになっています、ということ。 “里は荒れて 人はふりにし” という部分に「布留(ふる)の里-ふるさと」ということを含めており、 “宿なれや” という部分には、親王側の気持ちに立ってもてなしている遍照の心遣いが見えるような気がする。 (「248番 – 古今和歌集の部屋」より)]
「布留の高橋 – Google Map 画像リンク」、「ハタの滝 – Google Map 画像リンク」
布留の高橋(Google Map 画像)
布留の高橋(Google Map 画像)