マーカーは柿本人麻呂歌碑です。
柿本人麻呂歌碑
[『万葉集』-巻2-212 柿本人麻呂
衾道(ふすまぢ)を引手(ひきて)の山に妹を置きて 山路(やまぢ)を行けば生けりともなし
【現代語訳:万】
衾道よ、引手の山中に妹をおいて 山道をたどると、生きた心地もない。
【注】
衾道 → 手白髪皇女たしらかのひめみこの衾田ふすまだの墓がある。
引手の山 → 羽易の山に同じ。
妹 → 妻
人麻呂が妻を亡くし、哀しみ背負い歩いた山が龍王山といわれています。
この龍王山を背景に、万葉歌人を代表する柿本人麻呂の万葉歌碑が、中山町の山の辺の道沿いにたたずんでいます。歌碑の西側には、山の辺の道を歩いて来られた方が、腰を下ろせる『休憩スポット』があります。
龍王山、その名が示すように、古くから農耕と結びついた雨乞い信仰の山でもあります。空から降りそそぐ大粒の雨の雫は、人々の祈りかそれとも人麻呂の涙の雫なのでしょうか。
東の山並みの景色を眺めながら、人麻呂の想いを辿ってみてください。 (「衾道の(ふすまじの)|めぐる天理 – 天理市観光協会」より)]
「万葉歌碑(柿本人麻呂) – Google Map 画像リンク」
カメラ北西方向が柿本人麻呂歌碑です。