東大寺二月堂

マーカーは東大寺二月堂です。

東大寺二月堂
[詳細は「東大寺二月堂」を参照
国宝。旧暦2月に「お水取り」(修二会)が行われることからこの名がある。二月堂は平重衡の兵火(南都焼討・1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の大火には焼け残ったとされているが、寛文7年(1667年)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。本尊は大観音(おおがんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏である。建物は2005年12月、国宝に指定された。
二月堂(国宝)・wikipedia-photo  (wikipedia・東大寺より)]

[修二会の概要
二月堂という仏堂の特色を理解するうえで、修二会との関連を知ることが不可欠である。東大寺の修二会はきわめて複雑で多彩な内容をもった行事であり、ここではごく大まかな概要のみを説明する。
修二会は、旧暦の2月、二七日(にしちにち、14日間の意)にわたって行われる行事で、二月堂本尊の十一面観音に対して自らの過ちを懺悔し、国家の安定繁栄と万民の幸福を祈願する十一面悔過(けか)法要である。現在では新暦の3月1日から14日まで行われている。法要は練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる、特に選ばれた11名の僧が執り行う。
行事の中心となるのは内陣で行われる「六時の行法」である。これは1日のうちに日中、日没(にちもつ)、初夜、半夜、後夜、晨朝(じんじょう)の計6回(六時)の行法を行うということで、日によって時間は前後するが、日中の時(じ)は午後1時前後、初夜の時は午後7時前後、晨朝の時は深夜1時前後に行われる。
行法は悔過作法、祈願作法、呪禁(しゅごん)作法に分かれる。このうち悔過作法には散花行道(さんげぎょうどう)、称名悔過(しょうみょうけか)、宝号五体投地などが含まれる。宝号とは、練行衆が「南無観世音菩薩」の名号を繰り返し唱えるもので、作法の1つの山場となる。六時のうち、初夜の時(じ)と後夜の時では、悔過作法の後に祈願作法と呪禁作法が行われる。祈願作法の中心は、神名帳(じんみょうちょう)と過去帳の奉読で、それぞれ日本全国の神の名と、古代以来の二月堂ゆかりの人々の名を読み上げるものである。呪禁作法は密教的修法である。
練行衆は、日中の時と日没の時を終えた後、いったん参籠所へ引き上げ、初夜の時の際にあらためて上堂する。この際、上堂する練行衆一人ひとりを松明(たいまつ)が先導する。松明はそのあと、二月堂正面の舞台をめぐり、観客に向けて火の粉を撒き散らす。いわゆる「おたいまつ」である。この「おたいまつ」は連日行われるが、中でも「水取り」の修法直前の3月12日の夜には、籠松明(かごたいまつ)と呼ばれる特大の松明11本が二月堂の舞台から突き出され、周辺は見物客でごったがえす。
上述の毎日の作法以外にもさまざまな行法が行事中に織り込まれている。中でも3月12日から14日まで行われる達陀(だったん)の行法と、12日深夜(正確には13日未明)に行われる「水取り」の行法は著名である。達陀は、異国風の帽子を被り「八天」に扮した練行衆が、次々に内陣正面に走り出て、鈴や錫杖を鳴らしたり、大刀を振り回したり、ハゼ(もち米を炒ったもの)を撒き散らすなどの所作(しょさ)をするもので、クライマックスは火天(かてん)役の練行衆が、長さ3メートルもある大松明をかかえて跳びはね、内陣を一周した後、その松明を礼堂に向けて投げ倒し、火の粉を撒き散らす松明加持である。「だったん」の語源も意味も不明であり、謎に包まれた行法である。
修二会の代名詞となっている水取りは、3月12日の後夜の時(じ)の途中に行われるもので、二月堂前にある若狭井から香水(こうずい)を汲み上げ、十一面観音に捧げる儀式である。これは伝承では若狭国遠敷明神(おにゅうみょうじん)が湧き出させた霊水であるとされている。
このように、修二会は密教や神道の要素や春迎えの民間習俗を取り入れた部分もあり、きわめて複雑で謎の多い行事である。
付属建物
●参籠所(さんろうしょ・重要文化財) – 登廊の下に位置する。重要文化財名称は「参籠所」だが、正確には北半分が参籠所、南半分が食堂(じきどう)で、その中間の通路(登廊に通ずる)は細殿と呼ばれる。食堂には賓頭盧尊者(ぴんずるそんじゃ)像と重要文化財の訶梨帝母(かりていも、鬼子母神)像を安置する。室町時代の建物。
●閼伽井屋(あかいや・重要文化財) – 霊水の湧く「若狭井」の覆屋。切妻造の簡素な建物で鎌倉時代の建立。榊と注連縄で厳重に結界されており、一般人の立ち入りはできない。
●仏餉屋(ぶっしょうや・重要文化財) – 仏飯や粥を調理するところ。鎌倉時代末期の建物。
●湯屋 – 内部は湯殿、土間(釜屋)、湯屋宿所からなる。江戸時代の建物。
三月堂よりのぞむ二月堂・wikipedia-photo、二月堂西正面・wikipedia-photo、「二月堂、手前は興成社と良弁杉」・wikipedia-photo、二月堂南面・wikipedia-photo、「二月堂から奈良市街方面を見る、左奥の大屋根は大仏殿」・wikipedia-photo、登廊・wikipedia-photo、点火前の籠松明・wikipedia-photo、修二会の大松明・wikipedia-photo、修二会の大松明・wikipedia-photo  (wikipedia・東大寺二月堂より)]

東大寺二月堂資料リンク
大和名所図会. 巻之1-6 / 秋里舜福 [著] ; 竹原信繁 画 」・「二月堂若狭井大佛殿」(1-28)[大仏殿から二月堂方向の鳥瞰図です。右ページ上に二月堂が描かれています。]
幼き良弁と母と鷲」(1-34)

[開山・良弁は一つの説によれば、近江国の百済氏の出身で野良作業の母が目を離した隙に鷲にさらわれて、奈良の二月堂前の杉の木に引っかかっているのを義淵に助けられ、僧として育てられたと言われる。東大寺の前身に当たる金鐘寺に住み、後に全国を探し歩いた母と30年後、再会したとの伝承もある。しかし現在では別人ではないかとされているなど、史実であるかは定かでない。ただし、幼少より義淵に師事して法相唯識を学んだのは事実である。
「鷲にさらわる嬰児の頃。国会図書館所蔵・土佐光起『執金剛神縁起』絵巻より」・wikipedia-photo  (wikipedia・良弁より)]、「良弁松解説-1・左ページ3行目から」(1-33)、「二月堂解説・左ページ3行目まで良弁松解説、二月堂解説は4行目から」(1-35)

年中行事大成. 巻之1-4 / 速水春暁斎 画図」・「南都二月堂 水取の図」、「二月堂修法解説-1・左ページより」、「二月堂修法解説-2

東大寺境内図

二月堂湯屋 – Google Map 画像リンク」、「東大寺二月堂 参籠所 – Google Map 画像リンク」、「二月堂登廊 – Google Map 画像リンク」、「東大寺二月堂 – Google Map 画像リンク」、「良弁杉 – Google Map 画像リンク

カメラ北東方向が東大寺二月堂で、手前に興成社と良弁杉があります。また、カメラ北方向に登廊が、登廊の下が参籠所になり、参籠所の南側にあるのが閼伽井屋です。

カメラ北方向が二月堂です。

東大寺二月堂舞台のカメラで、カメラ南西方向下に興成社と良弁杉、その先に閼伽井屋があります。

二月堂舞台のカメラで、カメラ北東方向が登廊です。

東大寺二月堂登廊の360citiesで、登廊の下に参籠所があります。

カメラ東南東方向が参籠所で、石段上が登廊口にまります。また、カメラ南方向が仏餉屋で、カメラ西南西方向が湯屋です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

*