マーカーは夕日観音です。
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夕日観音
[夕日観音の他に三体地蔵と地蔵菩薩像が
鎌倉時代に彫られて、人の背丈ほどもある西向きの仏様です。
夕日が当たると、お姿が浮き出てくるので「夕日観音」と呼ばれていますが、本当は観音様でなく如来様です。
なお、石畳の道から左側の崖を登って行くと、まず3体の地蔵菩薩像(三体地蔵)が彫られていて、そのすぐ上にも東向きに1体の石仏(地蔵菩薩)が彫られ、更に崖を西側へ廻り、直ぐ反対向きに登ると「夕日観音」があります。 (「奈良柳生街道滝坂の道」より)]
[夕日観音は、街道から見えます。4~50m先の岩壁に彫られており、遠くから手を合わせるという拝し方をされてきたものと思われます。
今回初めてちょうど陽が当たっている状態を写すことができました。望遠を使って、昔の人が「夕日観音」と命名したくなった思いを表現できるかもしれないと思いシャッターを押してみました。2007年12月2日(日)午後1時過ぎです。南面しています。季節によってきっと陽の当たる時刻も変化するのでしょうが、夕日が当たる時間になるのは、さて春か夏か。
夕日観音は実は阿弥陀立像です。急な斜面を10mあまり登った場所にちょっとしたスペースがあって、そこで撮影可能です。 (「朝日・夕日観音(滝坂道)」より)]
[能登川の渓流沿いの石畳の道・滝坂の道を2kmほど歩くと、寝仏と呼ばれる転落した大日如来石仏がある。そこから北側の山手に急な道を20mほど登るとこの磨崖仏がある。夕陽に映える姿が美しいので、通称「夕陽観音」と呼ばれている。
「夕陽観音」は、傾いた大きな三角形の花崗岩の巨岩に、二重光背を彫りくぼめ、右手を下にのばし、左手を上げた施無畏・与願印の立像(像高1.6m)を半肉彫りした磨崖仏で、観音ではなく如来形の弥勒仏である。滝坂の道の数ある磨崖仏の中では最も整った優美な石仏である。 (「滝坂の道(柳生街道の石仏1)」より)]
剣豪たちの歩いた柳生みち(「奈良県公式ホームページ – 剣豪たちの歩いた柳生みち」より。)
[「夕日観音 – 実際は観音ではなく、弥勒如来立像」・wikipedia-photo
滝坂地蔵(上)と三体地蔵(下)・wikipedia-photo
滝坂地蔵 – 鎌倉時代の地蔵菩薩・wikipedia-photo
三体地蔵 – 室町時代の地蔵菩薩・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、滝坂三体地蔵、夕日観音の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・柳生街道より)]
カメラ北東方向・「夕日観音」標柱上方向左側に小さく磨崖仏「三体地蔵」がみえますが、「夕日観音」、「滝坂地蔵」は確認できません。
下の写真は「滝坂道の石仏巡り」からのコピーですが、写真下に「三体地蔵」、上(青の矢印)に「滝坂地蔵」が見えます。「滝坂地蔵」の西(左)側方向に「夕日観音」があると思われます。