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弘仁寺
[弘仁寺(こうにんじ)は、奈良市にある高野山真言宗の寺院。山号は虚空蔵山、本尊は虚空蔵菩薩。奈良市の南部、天理市よりの、山辺の道北道の中ほどの小高い山、虚空蔵山の山腹にある寺院である。毎年4月13日の十三詣りで有名。通称、「高樋の虚空蔵さん」と呼ばれる。
弘仁5年(814年)、嵯峨天皇の勅願により、空海が創建したと伝えられる。空海は、自ら彫った虚空蔵菩薩像を本尊として安置したという。或いは、小野篁を創建者とする説もある。また、先立つ大同2年(807年)に、この地に明星が隕ちたことから、空海が神聖な土地として寺を建立したとも伝えられる。
元亀3年(1572年)、松永久秀の兵火により、伽藍の大部分が焼失する。
寛永6年(1629年)、宗全によって再興される。
●本堂(奈良県指定文化財) – 寛永6年(1629年)再建(wikipedia-photo)
(wikipedia・弘仁寺より)]
十三詣り
[十三詣りの由来は諸説あり、13歳は半元服であり大人の仲間入りをする年齢だった説、厄年を迎える初めての年が13歳であり厄払いの意味があった説、虚空蔵菩薩が菩薩の中で13番目に生まれたとされており、これが由来となった説などがある。
初めて大人の寸法(本断ち)の晴れ着を着るが、肩上げを必ずする。この時期にそろえた着物をおりあるごとに着せて、着物になじませ自然に立居振舞を身につけさせるはじめとする。
また、半紙に自分が大切にしている漢字一文字を毛筆でしたため供え、ご祈祷を受けて、最後にお守り・お供物を頂いて帰り親に感謝を述べる。お守りは身につけるようにする。 (wikipedia・十三詣りより)]
「大和名所図会. 巻之1-6 / 秋里舜福 [著] ; 竹原信繁 画」・「添上群虚空蔵如意山弘仁寺」(2-9)、
「春日野の子日の松にひかれきてとしはつむともわかななら南」(2-9)、
[弘仁寺への十三詣りの途中の情景だと思います。数え年13歳の女の子が着物を着て弘仁寺にお参りに行く途中で、右ページに着飾った女の子とその家族、左ページには十三詣りには縁のない男の幼児が天秤棒の担ぎ籠にのってピクニックへ?]
「弘仁寺 – Google Maps 画像リンク」「弘仁寺 奥の院(寿楽庵) – Google Maps 画像リンク」
カメラ西北西方向が弘仁寺参道です。