マーカーは春日大社(幣殿・舞殿)です。
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春日大社(幣殿・舞殿)
[南門をくぐると正面にあり「拝殿」と勘違いしそうな建物ですが、幣殿と舞殿です。 東側2間を幣殿といい、西側3間を舞殿といいます。幣殿は天皇陛下のお供え物である 御幣物を一旦納める建物で、幣殿の天井板は格天井となっていて、舞殿と区別しています。
舞殿は宮中伝来の御神楽を行うための建物であり、また雨天時に神楽や舞楽を奉納する場所です。 (「幣殿・舞殿(へいでん・ぶでん) – 春日大社」より)]
直会殿(なおらいでん)
[春日祭では、勅使・弁以下の直会の儀式が行われ、中世には法華八講が修されたところから「八講屋」とも呼ばれました。
創建は貞観元年(859)と言われていますが、神社として必要不可欠な社殿であるため、創建当時から存在したと考えられています。度々の造替、罹災を経て、現在の社殿は第42次、慶安年度(1652)ご造替時のものです。 (「世界遺産 春日大社 公式ホームページ/式年造替/ご修繕状況[直会殿]」より)]
[東を正面とする南北8間、東西4間の広大な建物で、素木造(しらきづくり)です。東の2間が母屋となり、春日祭には、勅使・弁以下の直会の儀式が殿上で行なわれます。
平安期以降、ここで法華八講が盛大に行なわれたので、「八講屋(はっこうのや)」の呼称もあります。 (「直会殿 – 春日大社」より。)]
[●幣殿・舞殿(へいでん・ぶでん、重要文化財) – 慶安3年 – 5年(1650年 – 1652年)再建。東側2間は幣殿、西側3間は舞殿となっている。
●直会殿(なおらいでん、重要文化財) – 慶安3年 – 5年(1650年 – 1652年)再建。かつては八講之屋(はっこうのや)とも呼ばれた。平安時代以降、ここで法華八講が行われていた。
「幣殿・舞殿」・wikipedia-photo
「砂ずりの藤」・wikipedia-photo
「砂ずりの藤」案内板・wikipedia-photo
「砂ずりの藤」・wikipedia-photo
幣殿・舞殿と直会殿・wikipedia-photo
直会殿と西回廊の間、御手洗川・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、春日大社(幣殿・舞殿、直会殿)の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・春日大社より)]
カメラ北方向が幣殿・舞殿で、カメラ西方向に「砂ずりの藤」があります。
カメラ東北東方向が幣殿・舞殿で、カメラ西北西方向が直会殿です。
直会殿と西回廊の間、御手洗川を北から見たカメラです。カメラ西方向が清浄門になります。
カメラ南西方向が幣殿・舞殿で、カメラ北方向が中門・御廊で、カメラ西北西方向に「社頭の大杉」があります。