春日大社(桂昌殿、酒殿、内待門)

マーカーは春日大社(内待門)です。

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春日大社(桂昌殿、酒殿、内待門)

桂昌殿(けいしょうでん)
[江戸時代の五代将軍・徳川綱吉の母、桂昌院が奉納した建物です。天下国家安泰の御祈祷所として使用されていますし、かつては神職のお籠りにも用いられていました。  (「桂昌殿(けいしょうでん) – 春日大社」より)]

酒殿
[西廻廊の西側、竈殿(へついどの)と参道を隔てた北側に立つ建物が酒殿(さかどの)です。春日祭に供する社醸酒をつくるための建物で、中には酒神がお祀りされています。
 創建は貞観元年(859)と伝えられていますが、古く『続日本紀天平勝宝2年(750)年2月16日条に、孝謙天皇が春日酒殿に御幸されたとの記述があり、古くから重要な建物であったことが伺えます。現在の建物は記録から江戸時代初期の寛永9年(1632)造替によるものと考えられています。  (「世界遺産 春日大社 公式ホームページ/式年造替/ご修繕状況[酒殿]」より)]

内待門
[内侍門は西回廊にある三つの門の中で北側にある門です。古くは宮中より斎女・内侍が遣わされ、神様の御用をされていました。その斎女内侍が出入りした門と伝えられています。
この制度も室町時代中頃に途絶えてしまいました。  (「内侍門(ないしもん) – 春日大社」より)]

[●桂昌殿(奈良市指定有形文化財) – 徳川綱吉の母・桂昌院による建立。wikipedia-photo
  ●四脚門(奈良市指定有形文化財) – 春日社に所在した興福寺参籠所のひとつ上ノ屋(かみのや)の門を、明治時代に移築したものとされる一方で、安居屋の勅額門であったともされる。

●酒殿(さかどの、重要文化財) -寛永9年(1632年)再建。貞観元年(859年)に創建されたとされているが、天平勝宝2年(750年)にはすでに建てられていたともいう。wikipedia-photo

●内侍門(重要文化財) – 永徳2年 – 至徳2年(1382年 – 1385年)再建。wikipedia-photo

ウィキメディアコモンズには、春日大社桂昌殿酒殿の画像またはその他のファイルが含まれています。  (wikipedia・春日大社より)]

酒殿 – Google Map 画像リンク」、「桂昌殿 – Google Map 画像リンク」、「四脚門 – Google Map 画像リンク

カメラ東方向が内待門で、左が桂昌殿、右が酒殿になります。また、カメラ北方向に四脚門(春日大社四脚門 – 奈良市)があります。

カメラ北方向が桂昌殿で、カメラ南南西方向が酒殿です。また、カメラ東方向が内待門になります。

内待門内のカメラです。

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