上林春松本店(上林記念館)

マーカーは宇治橋通り本店(上林記念館)です。

上林春松本店(上林記念館)
[有限会社上林春松本店(かんばやししゅんしょうほんてん)は、京都府宇治市にある茶問屋である。創業 永禄年間。現在の当主は、第14代上林春松。
茶の加工と販売を主な事業とし、茶道の家へ茶を収めるほか、百貨店などにも販路を持ち、WWW上でオンライン販売も行う。品揃えは、抹茶玉露から番茶までをそろえている。
製茶工場では見学を受け付けている。また、宇治市宇治橋通りに「宇治・上林記念館」を開き、茶の資料や製茶道具を公開している。
歴史
1558~1569年(永禄年間)創業。江戸時代は、「御物茶師」(ごもつちゃし)として宇治を仕切る。1952年(昭和27年)に有限会社となる。
宇治・上林記念館
宇治・上林記念館(うじ かんばやしきねんかん)は、宇治橋通りにあるお茶の資料館。茶の資料や 製茶道具を展示する。建物自体も歴史的なものである。  (wikipedia・上林春松本店より)]

[上林家は、もと丹波上林郷(京都綾部市)に居住する土豪であった。永禄年間に、初代久重が宇治に移住し、茶業に携わったのが、宇治茶と上林家の結びつきの始まりである。久重の4人の子息はそれぞれ一家を興し、上林久茂、上林味ト、上林春松、上林竹庵となり宇治茶業界を代表する茶師として、生産流通に重要な役割を果たすことになる。桃山時代には豊臣秀吉に重用され、茶頭取として上林一族に 宇治茶の総支配を命じ、また、宇治郷の代官にも任じた。徳用三代将軍家光の時代になると、将軍家御用のお茶の調達を宇治茶師に当らせ、茶壺の往還には豪華な行列「茶壺道中」をもって行なった。明治維新後、宇治茶師の各家は相次いで転、廃業したが、上林春松家は唯一宇治茶師の後裔として現在に至るまで茶業を営んでいる。
上林竹庵は、上林又兵衛家の始祖、上林久重の四男で若年より徳川家康に仕え三河土呂郷の支配に当って百石の知行を受け、三河茶の栽培に関与したと伝えられる。のちに宇治に帰り茶業に精励したが、関ケ原役に際して、旧主家康の恩に報じて伏見城に籠って鳥居元忠とともに奮戦し城内において戦死した。この像は竹庵の百年忌に際して宇治平等院に祀られたもの、その功を讃えて建立された顕彰碑は平等院境内にある。  (「宇治・上林記念館」より)]

収蔵文書調査報告書3 「上林三入家文書」 | 宇治市公式ホームページ」-「収蔵文書調査報告書6 上林春松家文書 | 宇治市公式ホームページ」、「収蔵資料調査報告書9 上林春松家文書2 | 宇治市公式ホームページ

上林春松本店ホームページ

日本山海名物図会」(巻の二 – 14ページ・焙籠)

上林記念館 – Google Map 画像リンク」「上林春松本店 直営小売店 – Google Map 画像リンク

上林春松本店直営小売店のストリートビューです。

上林春松本店上林記念館のストリートビューです。

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