中村藤吉本店

マーカーは中村藤吉本店です。

中村藤吉本店
[京都宇治の地にて茶業ひとすじ150年。中村藤吉本店は代々誠実を旨として、真に味わい豊かなお茶の提供を本義とし、切磋琢磨し続けております。そもそも当店は、伊勢神宮藁葺き職人でもあった小中村六兵衛の長男・藤吉が、安政6(1859)年のめでたき正月、今も変わらぬ京都・宇治に、小中村の「小」の字をとった「中村藤吉本店」の看板を上げ創業致しました。平成21年には本店・平等院店が「宇治の文化的景観」を形成する建物のひとつとして、重要文化的景観に選定されました。
平成 21年2月に、「宇治の文化的景観」が重要文化的景観に選定され、その中で、
【中村藤吉本店】・・・明治期の茶商屋敷の代表的な建物群として – 初代・中村藤吉が宇治のこの地に創業して以来、歴代の当主が大切に守り続けてきた家屋は、明治期の茶商屋敷の代表的な建物として、現在にその姿を残しています。
【中村藤吉平等院店(旧菊屋萬碧楼)】・・・江戸期からの宇治を代表する料亭旅館菊屋の遺存建物として – 1818年、頼山陽の命名により多くの文人達に愛された宇治を代表する、料理旅館『菊屋萬碧楼』の遺存建物を、2006年より中村家が管理し、初代内閣総理大臣伊藤博文命名の『迎鶴楼』の外観をそのまま残し、内装のみモダンに改装して『中村藤吉平等院店』としてオープンしました。月見台から眺める宇治川の流れや対岸の朝日山の四季のうつろいは、昔と変わらず絶景です。  (「中村藤吉本店ホームページ 」より)]

[中村藤吉家の創業は、茶師星野宗以所有の居宅を買い取って商いを始めた安政元年(1854)頃に始まるとされる。当初は現在の店構えの東半分に居宅と店を構えたが、次第に敷地を西に広げ、明治 29 年(1896)には通りに面した長大な製茶工場が建てられている。この工場には幾台もの製茶用焙炉が窓際に並び、焙炉師などの職人により手もみ製茶が行われていた。このように明治期の茶商の家宅は、生活や家業の雰囲気を外に伝える商人らしい空間配置であり、江戸期の茶師家宅のように表に長屋門を構え、その中に主屋と奥に製茶場を設ける武家屋敷風の配置とは異なる点に特色がある。更に大正期になると機械化が進み奥に新たな製茶工場が建てられ、近代化による空間配置の変化が明瞭に追跡できる。現在、中村藤吉本店では製茶は行われておらず、茶や茶を使った菓子類などの小売りや飲食で来訪者を迎えているが、時代の変化に合わせて家業を持続してきた宇治茶商の様子を今に伝えている。  (「第2章 宇治市の維持向上すべき歴史的風致」より)]

日本山海名物図会」(巻の二 – 14ページ・焙籠)

カメラ南南東方向が中村藤吉本店です。

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