マーカーは六地蔵宿立場高札場跡碑です。
六地蔵宿立場高札場跡碑
[札の辻の丁子路に立つ石碑で「六地蔵宿立場高札場跡」とある。近世の奈良街道上に位置する宿駅であり、水運の港津としても賑わった。高札場の他、人足の詰所や伝馬所もあり、最盛期には馬数も100頭近く常備されていたという。 (「ファイル名:P47.48.pdf サイズ:930.77 KB」より)]
六地蔵宿
[古来、京都より宇治、大和にいたる街道の要所で馬借や運送業者の集落地であった。文禄年間(1592~95)、豊臣秀吉の指月・木幡山築城にともなう宇治川改修で港となり、敦賀から琵琶湖経由で運ばれる日本海物資を宇治川・淀川ルートで大阪方面へ積荷する港として栄えた所である。 (「木幡の里に藤原氏の遺跡を訪ねて」より)]
カメラ北方向に六地蔵宿立場高札場跡碑が、カメラ南西方向・電柱右に六地蔵札の辻の道標があります。