マーカーは堀井七茗園です。
堀井七茗園
[室町時代足利将軍は宇治茶の良さを認め,後世宇治七茗園と呼ばれる優れた茶園を宇治の地に七ヶ所指定しました。
「森、祝、宇文字、川下、奥の山、朝日に続く琵琶とこそ知れ」と和歌にも詠まれた七つの茶園は都市化の中で姿を消し、当園が栽培しております「奥の山」茶園だけが現存する唯一の生業茶園となりました。
宇治川、平等院を見下ろす高台に位置する「奥の山」茶園では今も昔ながらの伝統栽培が行われ、毎年八十八夜を過ぎますと、新芽が出揃い茶摘女による茶摘が行われております。
昭和56年宇治市「名木百選」の一つに指定されました。 (「宇治茶の老舗_堀井七茗園ホームページ」より)]
「都名所図会」・「巻之五 前朱雀再刻 宇治の里 (宇治里)」、「巻之五 前朱雀再刻 宇治里解説」
宇治の里 (宇治里)(拡大図)
[都の巽宇治の里は茶の名産にして、高貴の調進年毎の例ありて製法作境にならびなし。山吹ちり卯の花咲そむる頃、茶摘とて此里のしづの女白き手拭をいただき赤き前だれを腰に飜して、茶園に入り声おかしくひなびたる歌諷ひて興じけるありさま、陸羽が茶経には書遺し侍る。
木がくれて茶摘もきくや子規
ばせを]
カメラ西北西方向が堀井七茗園です。
カメラ南西方向が「奥の山」茶園で、カメラ方向左端に石碑があります。(Google Maps)